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氷河消耗域

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氷河消耗域(ひょうがしょうもういき、英: Ablation zone)は、年間を通じての正味の減少、すなわち質量損失が生じる領域をいう[1][2]消耗帯消耗ゾーンとも呼ばれる[1]。この領域では、積雪や氷の涵養量よりも消耗量が上回るため、氷河の質量収支が負となる[3]。多く、氷河氷床の、標高の低い下流域に位置する[4][5]

概要

氷河消耗域では、融解昇華蒸発カービング風食雪崩などの多様な消耗過程によって氷雪が失われ[6]、氷河の収支が保たれる。

消耗域の上流には氷河涵養域があり、氷河消耗域と接する線を平衡線といい、その標高を平衡線高度(ELA)という[7][4][5]

平衡線高度が下降し、涵養域における積雪や氷の堆積量が融解などによる消耗量を上回ると質量収支が正となり[8]、やがて氷河の末端部が前進する[9]。逆に平衡線高度が上昇し、融解量が堆積量を上回る場合は負の質量収支となり、氷河は縮退傾向を示す[10]

消耗過程の種類

融解

消耗域における最も顕著な消耗過程は表面融解である。特に温帯氷河や夏季の極地氷河では、太陽放射と大気温度の上昇により氷河表面で大量の融解が発生し、擬似液体層を形成する。融解水は氷河表面に氷河表面流を形成する。これらの流路は時に深い峡谷状の形態を呈し、氷河表面の地形を大きく変化させる。

融解水の一部は、クレバスと呼ばれる氷河や雪渓などにできた深い割れ目やムーランと呼ばれる垂直な穴などを通じて氷河内部に浸透し、氷河内流路を形成する。さらに、融解水は氷河と基盤岩の境界面にまで達し、氷河底面流氷底湖を形成することもある。これらの水系は氷河の流動速度や氷河全体に影響を与える。

カービング

海洋終端型氷河湖終端型氷河の消耗域では、カービングが主要な消耗過程となる。これは氷河の末端部が水域に達した際に、氷塊が分離して氷山として流出する現象である。カービングによる質量損失は、表面融解よりもはるかに大きな割合を占めることがあり、特に潮汐氷河では氷河後退の主要因となる。

カービングの特徴や頻度、規模、メカニズムは、海水淡水か、日射量気温、氷河の流動速度、水深水温波浪潮汐塩分、海洋または湖水の循環パターンなど、多くの要因に影響されるとされているが、まだ十分定量的には明らかになっていない。近年の研究では、海水温の上昇がカービング速度を加速させ、グリーンランド南極氷河後退に寄与していることが明らかになっている。

昇華と蒸発

寒冷乾燥した環境では、昇華が重要な消耗過程となる。特に南極大陸の内陸部や高山氷河の消耗域では、融解が限定的であるため、昇華が主要な質量損失メカニズムとなる。昇華は太陽放射気温湿度風速などの気象条件に強く依存する。

融解水が存在する場合は、蒸発も質量損失に寄与する。氷河表面の池や氷河表面流から水が蒸発することで、わずかながら質量が失われる。

その他の消耗

風食は、特に乾燥した高山環境や極地において重要な消耗過程である。強風によって氷河表面の新雪や粒状雪が吹き飛ばされ、消耗域から除去される。

雪崩も消耗域における質量損失の一因となる。急峻な氷河では、消耗域の斜面から雪や氷が雪崩によって氷河外に運び出される。

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消耗域の地形的特徴

氷河上湖沼と水系

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アメリカ、アラスカ州メンデンホール氷河における氷河表面流

消耗域の表面には、融解期に多数の湖沼が形成される。これらの湖は、氷河表面の窪地に融解水が溜まることで生じる。氷河上の湖沼は太陽放射を吸収し、アルベドを低下させるため、局所的な融解を加速させる正のフィードバック機構として機能する。

一部の氷河上湖沼は、氷河内部への排水路が開くことで急速に排水される現象(氷河湖決壊)を引き起こすことがあり、下流域に洪水災害をもたらす危険性がある。

クレバスとセラック

消耗域では、氷河の流動に伴う応力によってクレバスが形成される。特に氷河の流速が変化する場所や地形の起伏がある場所では、複雑なクレバスパターンが発達する。クレバスが交差する領域では、セラック(serac、氷の塔状構造)と呼ばれる不安定な氷塊が形成される。

氷河表面の堆積物

消耗域では、氷河に内包されていた岩屑が融解によって表面に露出する。これらの堆積物は表面モレーン(supraglacial moraine)として氷河表面を覆い、下の氷を日射から保護する効果を持つ(デブリ被覆効果)。堆積物の厚さが十分であれば、融解速度を大幅に低下させることができる。

氷河末端の地形

氷河の末端部、すなわち消耗域の最下部では、氷河が後退した跡に様々な堆積地形が残される。ターミナルモレーン(terminal moraine、終堆石)は氷河の最大前進位置を示し、リセッショナルモレーン(recessional moraine、後退堆石)は後退過程における一時的な停止位置を記録する。

氷河の後退により取り残された氷塊が融解すると、ケトルホール(kettle hole)と呼ばれる窪地が形成され、しばしば湖沼となる。また、氷河下で堆積した砂礫が丘状に残った地形はケーム(kame)と呼ばれる。

質量収支と観測手法

氷河の質量収支

氷河の質量収支は、標高別に求めた涵養量(の値)と消耗量(の値)の和に、標高別の氷河面積を積算することにより求められる[3]。単に収支または正味涵養量ともいう。年間の質量収支が正であれば氷河は成長し、負であれば縮小する[3]

質量収支 は、涵養量 の値をとる)と融解量 の値をとる)を用いて、標高別に以下の式で表される。なお単位はメートル水当量である。長期的な質量収支の傾向は、気候変動の影響を直接反映する指標となる。

観測技術

消耗域における消耗量の測定には、複数の手法が用いられる。

  • 雪尺法:氷河表面に打ち込んだ棒の露出長を定期的に測定することで、消耗量を直接計測する最も基本的な方法である。多数の雪尺を消耗域全体に配置することで、空間的な消耗パターンを把握できる。
  • 自動気象観測装置(AWS):消耗域に設置された気象観測装置により、気温、湿度、風速、放射量などのデータを連続的に取得し、エネルギー収支に基づいて消耗量を推定する。
  • リモートセンシング:人工衛星やドローンを用いた観測により、広域の消耗域の変化を効率的に監視できる。デジタル標高モデル(DEM)の経年比較により、氷河表面の高度変化から質量損失を算出する。
  • 氷河測地法:GPS測量や航空レーザー測量(LiDAR)により、氷河表面の精密な標高データを取得し、時系列変化から質量収支を評価する。
  • 融解水流量測定:氷河末端から流出する融解水の流量を測定することで、消耗域全体からの流出量を間接的に評価する手法である。
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気候変動との関係

消耗域の拡大

地球温暖化に伴い、多くの氷河で消耗域が拡大している。気温上昇により平衡線高度が上昇し、以前は積雪域であった領域が消耗域に転換されている。この変化は氷河の質量収支を悪化させ、急速な氷河後退を引き起こす。

アルベドフィードバック

消耗域では、氷河表面のアルベド(反射率)が低下する傾向にある。明るい雪が融解して暗い氷が露出すると、太陽放射の吸収が増加し、さらなる融解を促進する正のフィードバックが働く。また、氷河上に堆積する煤や塵、藻類の繁殖もアルベドを低下させる要因となる。

海面上昇への寄与

世界中の氷河消耗域からの融解水は、海面上昇の重要な寄与要因の一つである。グリーンランド氷床と南極氷床の消耗域における質量損失の増加は、21世紀における海面上昇予測において重要な不確実性要因となっている。

氷河のタイプによる違い

陸上終端型氷河

陸上終端型氷河(land-terminating glacier)の消耗域では、表面融解が主要な消耗過程となる。温帯氷河では夏季に大量の融解が発生し、顕著な消耗域が形成される。アルプスやヒマラヤ、パタゴニアなどの山岳氷河の多くがこのタイプに属する。

海洋終端型氷河

海洋終端型氷河(marine-terminating glacier)、特に潮汐氷河(tidewater glacier)では、カービングと水中融解が消耗域における主要な質量損失メカニズムである。グリーンランドやアラスカの多くの氷河がこのタイプであり、海水との相互作用が氷河動態に大きな影響を与える。南極氷床では全質量損失量に占めるカービングによるものの割合は約97%と見積もられている。

海水温の上昇は氷河末端の水中融解を促進し、氷河の不安定化とカービング速度の増加をもたらす。この過程は気候変動に対する氷河の応答を加速させる重要な要因となっている。

湖終端型氷河

湖終端型氷河(lake-terminating glacier)は、氷河湖に末端が達している氷河であり、カービングによる質量損失が顕著である。ヒマラヤ地域では氷河湖の拡大に伴い、このタイプの氷河が増加している。氷河湖の水温や水深の変化は、カービング速度に直接影響する。

極地氷河と温帯氷河

極地氷河(polar glacier)の消耗域では、気温が常に氷点以下に近いため、融解が限定的であり、昇華が主要な消耗過程となる。一方、温帯氷河(temperate glacier)では、夏季の気温上昇により大規模な表面融解が発生し、豊富な融解水が氷河動態に影響を与える。

夏期涵養型氷河

アジア高山域など一部の地域における氷河は、夏期モンスーンの影響を受け、降水が夏期に集中し、夏期に涵養と消耗が同時に生じる夏期涵養型氷河に分類される。この氷河では、融解期中の個体の降水(雪や霰など)によってアルベドが高く保たれ、融解が抑制される。一方、気温上昇により降雪が降雨に変わるなど、液体になると、降水は氷河質量の増加に寄与しない。したがって冬期涵養氷河よりも特に気温上昇に対して消耗域が拡大しやすく、質量収支が変わりやすい[3]

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社会的・環境的影響

水資源への影響

消耗域からの融解水は、多くの地域で重要な水資源となっている。ヒマラヤや中央アジアの氷河は、下流域の数億人の人々に水を供給している。しかし、氷河の縮小により、短期的には融解水流量が増加するものの、長期的には水資源の減少が懸念される。

氷河湖決壊洪水(GLOF)

消耗域における氷河上湖沼や氷河末端の氷河湖の拡大は、氷河湖決壊洪水(Glacial Lake Outburst Flood、GLOF)のリスクを高める。氷河湖が決壊すると、下流域に壊滅的な洪水被害をもたらす可能性があり、ヒマラヤ地域などでは重大な災害リスクとなっている。

生態系への影響

消耗域の融解水は、氷河周辺の生態系に不可欠な水源である。氷河の後退と消耗域の変化は、氷河依存性の生物種や高山生態系に影響を与える。また、融解水に含まれる堆積物や栄養塩は、下流の河川や海洋生態系にも影響を及ぼす。

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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