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重要輸出品同業組合法

日本の法律 ウィキペディアから

重要輸出品同業組合法
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重要輸出品同業組合法(じゅうようゆしゅつひんどうぎょうくみあいほう、明治30年4月12日法律第47号)は、1897年に成立した日本の法律。輸出貿易に関する初めての法律であり、続いて生糸直輸出奨励法が成立した。

概要 重要輸出品同業組合法, 法令番号 ...

1897年(1897年)4月12日に公布され、1900年、後継の重要物産同業組合法(明治33年3月7日法律第35号)の施行により廃止された。この記事では双方について述べる。

概要

同法の法案提出前にも同業組合は既に存在しており、1885年の同業組合準則(明治18年4月13日)や取締規則により地方長官が組合活動を保護奨励していたが、明治政府は期待した効果が見られなかった [1]。そのため、新法の趣旨は、組合の権能を高め、違反に対する制裁も充実させ、団体を団結させるというものであった[2]。法案は1897年3月11日、第2次松方内閣から貴族院に提出された[注釈 1]

この法律は同業組合を設立するときには地区を定め、地区の5分の4以上の同業者の同意を得て定款を定め、農商務大臣の認可を得、同業者は組合に加入することが義務付けられた。組合の商品には「検査証」を附して販売することが義務付けられ、事業者が組合のある地域で組合未加入のまま営業したり、偽の検査証を使用した場合には罰金が科せられた[注釈 2]

同法は同業組合連合会を設置することも可能とした。また輸出用でない物品の製造業者においても同業組合が必要とされれば、同法を準用することができた(第19条)。

同法は3月24日に成立し、4月12日に公布された。次いで、これに付随して生糸直輸出奨励法(明治30年4月27日法律第48号)も公布されたが[注釈 3]後述のとおり施行から1か月強で廃止に至った。

重要輸出品同業組合法は1900年、後述の重要物産同業組合法(明治33年3月7日法律第35号)に移行して廃止された。

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国際摩擦の発生

同年の生糸直輸出奨励法は、生糸貿易について特に直輸出業者を保護して業務を発達させることを目的に、1898年4月1日から1903年3月31日まで施行する予定で [2]、1898年3月には「生糸直輸出奨励法に依り生糸の検査等級奨励金額の件」(明治31年3月29日勅令第51号)、生糸直輸出奨励法施行細則(明治31年3月30日農商務省令第3号)も公布され、一定量以上の生糸を輸出する商社に対する輸出奨励金の提供が規定された。

ところが諸外国がこの政策に反発し、報復手段として日本の輸出生糸に対して特別に重い関税を課すことが検討され始めた。このこともあり、第2次松方内閣第11回帝国議会で内閣不信任案を提出され、解散総選挙を行った。第3次伊藤内閣下、1898年5月26日公布の廃止法令(法律第1号)をもって同日付で廃止された [3][注釈 4]

批判

当時は、ハワイが日本酒に対し、アメリカ合衆国が絹織物や地蓆(マット)類に対し重い関税を科していたため、この法律に対しては次のような批判があった[4]

  • 金本位制における工業品の貿易を予め研究すべきである。
  • 相手国の関税税収を高める必要はないはずであり、輸出奨励は不条理である。
  • 衆議院議員に、輸出によって資産形成した工業事業者が増加することが予想され、諸般の政治問題の解決に繋がらない恐れが高い。

重要物産同業組合法

概要 重要物産同業組合法, 法令番号 ...

1900年、後継となった重要物産同業組合法(明治33年3月7日法律第35号)もまた取扱商品の品質を維持するため、同業組合は製品検査機関(検査員)を設ける義務があった。1916年には、「重要物產同業組合法の規定に依る重要輸出品の種類」(大正5年6月29日商第899号次官通牒)によって輸出用の重要物産が定められた。製品の種類は以下のとおり[5]

重要物産同業組合法は、第二次世界大戦中の1943年、工業組合法(大正14年3月30日法律第28号)とともに、商工組合法(昭和18年3月12日法律第53号、商工省)に吸収されて廃止された。

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関連項目

脚注

参考文献

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