アクラガス包囲戦
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この項目では、紀元前406年のシケリア戦争の戦いについて説明しています。紀元前262年の第一次ポエニ戦争の同じ都市での戦いについては「アグリゲントゥムの戦い」をご覧ください。 |
アクラガス包囲戦は紀元前406年にシケリア(現在のシチリア)で発生した8か月に及ぶ包囲戦である。ハンニバル・マゴ(カルタゴ王、在位:紀元前440年 - 紀元前406年)が率いるカルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、ドーリア人都市であるアクラガス(現在のアグリジェント)を包囲した。アクラガスはカルタゴ軍の攻撃を撃退し、シュラクサイから援軍が到着して包囲軍に勝利し包囲を解くのに成功した。
概要 アクラガス包囲戦, 交戦勢力 ...
アクラガス包囲戦 | |
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戦争:第二次シケリア戦争 | |
年月日:紀元前406年 | |
場所:シチリア島アクラガス(現アグリジェント) | |
結果:カルタゴの勝利 | |
交戦勢力 | |
アクラガス、シュラクサイ | カルタゴ |
指導者・指揮官 | |
ダフナウス デヒップス |
ハンニバル・マゴ ヒミルコ |
戦力 | |
陸兵40,000 三段櫂船40 |
陸兵120,000(古代資料) 三段櫂船120 |
損害 | |
不明 | 戦死6,000+ |
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包囲中にカルタゴ軍にはペストが蔓延し、ハンニバル・マゴ自身も死亡した。ギリシア軍によって補給線が遮断されると、生存者も危機に瀕した。しかしながら、指揮を引き継いだハンニバル・マゴの縁者であるヒミルコは、カルタゴ艦隊を使ってギリシア軍の補給船を鹵獲し、ギリシア軍も飢えに直面することとなった。これにより救援軍は撤退し、その後ほとんどのアクラガス市民も街を脱出したため、ヒミルコはアクラガスを占領・略奪した。