カマリナ略奪
ウィキペディア フリーな encyclopedia
カマリナ略奪は紀元前405年夏に、シケリア(シチリア)のカマリナ(現在のラグーザ県ヴィットーリアのスコグリッティ地区)で行なわれた略奪である。シュラクサイを追放された将軍ヘルモクラテスは、紀元前408年からシケリア西部のセリヌス(現在のマリネラ・ディ・セリヌンテ)を臨時に修復して根拠地とし(紀元前409年にカルタゴ軍に破壊されていた)、カルタゴ領に対する略奪を行っていた。それに対する報復として、カルタゴはマゴ王朝の一員であるハンニバル・マゴとヒミルコが率いるカルタゴ軍をシケリアに派遣し、シュラクサイを盟主とするシケリアのギリシア連合軍と対峙した。紀元前406年には、アクラガス(現在のアグリジェント)が8か月の包囲戦の末に陥落した(アクラガス包囲戦)。総司令官ハンニバル・マゴは包囲戦の最中にペストで死亡したが、カルタゴ軍はアクラガスで冬営を行い、翌紀元前405年春にはアクラガスを破壊してゲラ(現在のジェーラ)に向かいこれを包囲した。シュラクサイではディオニュシオスを最高司令官とした救援軍を派遣し、一旦は包囲を解くことに成功したものの、近郊で行われた野戦で敗北した(ゲラの戦い)。シケリア・ギリシア連合軍の損害は軽微であったが、ディオニュシオスはゲラを放棄して撤退し、ゲラもカルタゴ軍に占領・略奪された。ギリシア連合軍はゲラの難民と共にカマリナに移動した。ディオニュシオスは防衛のためにカマリナ市民に都市から離れるように命じた。さらにシュラクサイへの撤退途中に、シュラクサイ軍の一部が反乱し、シュラクサイを占領しようとしたが、ディオニュシオスはこれを退けた。カルタゴ軍はカマリナを略奪し、夏にはシュラクサイの前面に野営地を設営した。その後、和平交渉が行われ、カルタゴはセリヌス、アクラガス、ゲラおよびカマリナの再建を認める代わりに、これらの都市に税を課した。またカルタゴはディオニュシオスがシュラクサイの支配者であると認めた。カルタゴのシケリアにおける勢力は頂点に達した。