カンボジア作戦
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カンボジア作戦(カンボジア介入またはカンボジア侵攻とも呼ばれる)は、ベトナム戦争の進展から1970年にカンボジア東部で実施されたアメリカ軍とベトナム共和国軍(南ベトナム軍, ARVN)による一連の軍事作戦であり、後のカンボジア内戦へと続いていく。これらの侵攻はリチャード・ニクソン米大統領の方針に従って行われた。4月29日から7月22日までは南ベトナム軍によって、また5月1日から6月30日まではアメリカ軍によって合わせて13の大きな作戦が実施された。
概要 カンボジア作戦, 交戦勢力 ...
カンボジア作戦 | |
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カンボジアに展開したアメリカ軍部隊を示す作戦地図 | |
戦争:ベトナム戦争 | |
年月日:1970年4月29日 - 7月22日 | |
場所:カンボジア東部 | |
結果:勝敗は不明瞭
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交戦勢力 | |
ベトナム共和国 アメリカ合衆国 クメール共和国 |
ベトナム 南ベトナム解放民族戦線 民主カンプチア パテート・ラーオ |
指導者・指揮官 | |
ル・モン・ラン ド・カオ・チー ニエン・ベト・タン トラン・クアン・コイ リチャード・ニクソン クレイトン・エイブラムス ロン・ノル |
ホアン・ヴァン・タイ |
戦力 | |
南ベトナム軍 56,608 アメリカ軍 50,659-40,000 |
北ベトナム軍/ベトコン 40,000 |
損害 | |
南ベトナム:戦死809、負傷3,486 アメリカ軍:戦死338、負傷1,525、行方不明13 |
米国の喧伝では、北ベトナム側:戦死12,354、捕虜1,177[1](この数字にCIAは懐疑的で、同集計には民間人の死傷者が含まれていると指摘する)[2]。 |
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作戦の目的は、カンボジアの東部国境地域に展開する約40,000人規模のベトナム人民軍(北ベトナム軍, PAVN)と南ベトナム民族解放戦線(ベトコン, NLF)の部隊を駆逐することにあった。当時はカンボジア政府の形式的な中立性と軍事的脆弱性のため、その区域はベトナム共産主義勢力が国境超え作戦のための拠点を確立できるほど安全な場所になっていた。米国がベトナム化政策と撤兵に移行しつつある中、国境越えの脅威を排除することで南ベトナム政府を支援しようと試みたものである。
国王のノロドム・シハヌークが解任されて親米派のロン・ノル将軍へと政権が移る1970年のカンボジア政変(クーデター)が、共産主義側の拠点を破壊する機会を与えた。ロン・ノル南ベトナム政権による一連の作戦はいくつかの町を占拠したが、ベトコンの軍事的および政治的指導者はかろうじて非常線を脱出した。米軍と南ベトナム軍の同盟軍事作戦は、共産主義軍をさほど駆逐することもできず、南部中央局(COSVN)として知られる軍中枢部を捕らえることにも失敗したが、カンボジアにて大量に物資を鹵獲した点が成功だと言われるようになった。