ナチス・ドイツのフランス侵攻
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ナチス・ドイツのフランス侵攻(ナチス・ドイツのフランスしんこう)は、第二次世界大戦中の1940年5月に発生したドイツ国防軍をはじめとする枢軸国軍と連合国軍とのベネルクス三国・フランス北部での戦闘である。ドイツ軍の電撃戦が最も成功を収めた例と考えられている。
概要 フランスの戦い, 時 ...
フランスの戦い | |||||||||
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第二次世界大戦の西部戦線中 | |||||||||
(時計回りに)北フランスの放棄された車両 パリを行進するドイツ軍 ドイツの対戦車砲を調査するイギリス兵 撃破されたフランスの装甲車 捕虜となったフランス兵 アルデンヌの森を通過するドイツ軍のI号戦車とII号戦車 | |||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||
ナチス・ドイツ イタリア王国 (6月10日-) |
フランス イギリス カナダ ベルギー オランダ ルクセンブルク チェコスロバキア亡命政府 ポーランド亡命政府 | ||||||||
指揮官 | |||||||||
アドルフ・ヒトラー ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ ゲルト・フォン・ルントシュテット フェードア・フォン・ボック ヴィルヘルム・フォン・レープ アルベルト・ケッセルリンク フーゴ・シュペルレ ベニート・ムッソリーニ ウンベルト2世 ピエトロ・ピントール(イタリア語版) アルフレード・グッツォーニ(イタリア語版) |
モーリス・ガムラン[注 1] マキシム・ウェイガン アルフォンス・ジョルジュ ガストン・ビヨット † ジョルジュ・モーリス・ジャン・ブランシャール アンドレ=ガストン・プレテラ ジョン・ヴェレカー レオポルド3世 (捕虜) ヘンリー・ヴィンケルマン (捕虜) ヴワディスワフ・シコルスキ | ||||||||
部隊 | |||||||||
戦力 | |||||||||
北フランス戦線 アルプス戦線 兵員30万名 |
北フランス戦線 アルプス戦線 兵員15万名 | ||||||||
被害者数 | |||||||||
ドイツ国 戦死2万7074人 戦傷11万人 行方不明者1万8384人 戦車・装甲車753両 航空機1,236機 イタリア王国 戦死631人 戦傷2631人 行方不明者616人 |
フランス共和国 イギリス 戦死・戦傷36万人 捕虜190万人 戦車・装甲車5,100両 航空機2,000機 |
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フランスの戦い(フランス語: Bataille de France)、西方戦役(ドイツ語: Westfeldzuge)とも呼ばれる。ドイツ側の作戦名は第1フェイズ(ベネルクス三国、フランス北部侵攻)が黄色作戦(Fall Gelb、ファル・ゲルプ)、第2フェイズ(ソンム川以南への侵攻)が赤色作戦(Fall Rot、ファル・ロート)である。