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古墳時代の人物 ウィキペディアから
大神 比義(おおが の ひぎ[2])、または大神比義命(おおがのひぎのみこと)[3]は、古墳時代の人物。宇佐八幡宮を創建し、日本で初めての祝職(神職)に任ぜられ、宇佐八幡宮初代大宮司となった。また、大神氏の祖である[4]。
『八幡宇佐宮御託宣集』には、
欽明天皇三十二年(571)辛卯、八幡大明神、筑紫に顕れたまふ。 豊前国宇佐郡厩峯菱形池の間に、鍛冶の翁有り。首甚だ奇異なり。これに因って大神比義(おおがのひぎ)、穀を絶つこと三年、籠居精進して、即ち幣帛を捧げて祈って言く。「若し汝神ならば、我が前に顕るべし」と。即ち三歳の小児と顕れ、竹葉に立ちて宣く。「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりきじんつうだいじざいおうぼさつ)なり。国々所々に、跡を神道に垂れ、初て顕るのみ。
と記され、八幡大神が顕現し、比義がそれを祀った経緯が記されている[5]。
宇佐八幡宮内にある大神祖神社に大神比義命として祀られている。
と八幡神の発生についての最も古い史料、弘仁官符に引用された大神清麻呂解状に初めて八幡神と大神比義命が見える。[11][12][13][14]。
大神比義命(おおがのひぎのみこと) | |||||||||||||||
大神波知命(おおがのなみちのみこと) | |||||||||||||||
大神竹葉古 | |||||||||||||||
大神路麿 | |||||||||||||||
大神諸上 | |||||||||||||||
大神路足 | |||||||||||||||
大神春麻呂 | |||||||||||||||
大神諸男 | |||||||||||||||
大神田麻呂 | |||||||||||||||
大神清麻呂 | |||||||||||||||
『三輪高宮家系図』では、大和三輪氏の中に大神比義を加えている[18]。
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