小山田虎満
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小山田 虎満 / 小山田 昌辰(おやまだ とらみつ / おやまだ まさたつ)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣。岩殿城の小山田信茂とは同姓だが、別氏族の石田小山田氏。
概要 凡例小山田虎満 / 小山田昌辰, 時代 ...
甲越勇將傳武田家廾四將:小山田備中守昌辰 (歌川国芳作) | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 天正7年10月12日(1579年10月22日) |
改名 | 虎満、昌辰 |
別名 |
号:玄怡 通称:上原伊賀守、小山田備中守、上原昌辰 |
墓所 | 信濃正安寺 |
官位 | 伊賀守、備中守 |
主君 | 武田信虎→信玄→勝頼 |
氏族 | 上原氏→小山田氏 |
父母 | 父:小山田備中守[異説あり] |
子 | 昌成(昌行)、大学助(昌貞) |
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諱は『甲陽軍鑑』(以下『軍鑑』)『甲斐国志』では「昌辰」としているが、文書上に見られる実名は「虎満」であることが確認されている[1]。出家名は玄怡。文書上では上原伊賀守、小山田備中守としても見られ、『軍鑑』『国志』においても伝えられている。子は昌成(藤四郎、菅右衛門尉)、大学助。