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日本の歌人 ウィキペディアから
後深草院少将内侍(ごふかくさのいんのしょうしょうないし、生年不詳 - 1265年(文永2年)頃没)は、鎌倉時代初期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将、弁内侍の妹[* 1]。花山源氏の資光王の妻。
姉の弁内侍と共に後深草天皇の幼少期から出仕[* 2]、その在位期間を中心に歌壇で活躍した。また、連歌を得意とした点も弁内侍と共通する。『続後撰和歌集』以降の勅撰集、歌合等の他、『弁内侍日記』『菟玖波集』にも作品を残している。特に『弁内侍日記』は、事実上、弁内侍と少将内侍の姉妹の歌日記と言えるほど、少将内侍の登場場面が多い。弁内侍の詞書[1]から、父信実に先立って死去したことがわかる。
しはしまてうちたれ髪のさしくしを さし忘れたる時のまはかり
— 『新千載和歌集』 巻第十八 雑歌下
なごりをばいかにせよとて帰るらむ 御所
— 『弁内侍日記』 下巻
もしやとまたむ秋の夜の月 少将
あかなくにめぐりあふよもありやとて 御所
みちうきほどにかへるをぐるま 弁
たぐひなきわが恋草をつみいれて 御所
つゝみあまるはそでのしら露 少将
跡をとふ人たになくは友千鳥 しらぬ浦ちに猶やまよはん
— 『新後撰和歌集』 巻第十九 雑歌下
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