狐の呉れた赤ん坊
ウィキペディア フリーな encyclopedia
『狐の呉れた赤ん坊』(きつねのくれたあかんぼう)は、1945年(昭和20年)11月8日公開[1]の日本映画である。大映製作。監督・脚本は丸根賛太郎、主演は阪東妻三郎。モノクロ[2][3][4]またはパートカラー[5]、スタンダード、85分[5]。初回興行は富士館[3]。映倫番号はA-244[4]。
概要 狐の呉れた赤ん坊, 監督 ...
狐の呉れた赤ん坊 | |
---|---|
監督 | 丸根賛太郎 |
脚本 | 丸根賛太郎 |
原作 | 谷口善太郎 |
出演者 |
阪東妻三郎 羅門光三郎 阿部九洲男 橘公子 沢村マサヒコ |
撮影 | 石本秀雄 |
製作会社 | 大映京都撮影所 |
配給 | 大映 |
公開 | 1945年11月8日 |
上映時間 | 85分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
テンプレートを表示 |
閉じる
阪東妻三郎の戦後第一回主演作品。GHQにより封建主義の表現を控えるように指示があったため[6][7]、チャップリンの『キッド』を彷彿とさせる人情喜劇に仕上がった[7]。阪東妻三郎の演技の新境地ならびに新しい時代劇の方向を示したと注目された[1]。山田洋次は『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』で100本のうちの1本に選出している。
1971年、同じ大映で監督三隅研次、主演勝新太郎でリメイク版が(脚本はオリジナルと同じ丸根賛太郎の物を使用)[7]、また1981年にはテレビドラマ版が作られた(制作はユニオン映画、フジテレビ)[8]。このテレビドラマ版では、オリジナル版の監督である丸根賛太郎が監修に当たり、主役もオリジナル版の阪東妻三郎の実子である田村高廣が務めた。またこのテレビドラマ版では題名が『狐のくれた赤ん坊』と若干表記が違い、内容も脚本が新たに窪田篤人によって書き下ろされており、オリジナルとは若干内容が異なる。その他に、1961年に東映で監督深田錦之助、主演近衛十四郎で『無法者の虎』の題名でもリメイクされている(こちらも脚本はオリジナル版を使用)。