直仁親王
花園天皇の第三皇子? 光厳院の第二皇子? 北朝崇光天皇の皇太子・皇太弟。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
直仁親王(なおひとしんのう、建武3年〈1336年〉?[1] - 応永5年5月14日〈1398年6月2日)〉は、南北朝時代の持明院統の皇族。花園天皇の皇子で、母は宣光門院正親町実子とされているが、光厳上皇と実子の子という説が有力である。
概要 直仁親王, 続柄 ...
直仁親王 | |
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続柄 | 花園天皇皇子/光厳天皇第二皇子 |
全名 | 直仁(なおひと) |
称号 | 皇太弟のち萩原宮 |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
建武3年(1336年)? |
死去 |
応永5年5月14日(1398年6月2日) |
子女 | 周高西堂、任西堂、尊立 |
父親 | 花園天皇/光厳天皇 |
母親 | 正親町実子 |
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北朝崇光天皇の皇太弟に立てられたが、正平一統の際に南朝方によって廃太子され賀名生へ連れ去られた。花園上皇の御所だった「萩原殿」を相続したことから萩原宮(はぎわらみや)とも通称された。