芷江作戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
芷江作戦(しこうさくせん)とは、日中戦争において1945年4月から6月の間に行われた、湖南省西部・芷江への日本軍の進攻作戦である。正式名称は二十号作戦。中国側の呼称は湘西会戦もしくは雪峰山戦役。日本軍は芷江攻略の目的を果たせず敗退した。日中戦争における日本軍最後の攻勢作戦となった。
概要 芷江作戦, 交戦勢力 ...
芷江作戦 | |
---|---|
中国軍に降伏する日本軍 | |
戦争:日中戦争 | |
年月日:1945年4月 - 6月 | |
場所:湖南省西部 | |
結果:中国軍の勝利。日本軍は作戦を中止。 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | 中華民国 |
指導者・指揮官 | |
岡村寧次 坂西一良 笠原幸雄 |
蔣介石 何応欽 張発奎 湯恩伯 |
戦力 | |
兵力:約10万人 | 兵力:約10万人 |
損害 | |
戦死:695人[1] 戦傷:1,181人[1] 戦病:24,640人[1]
戦死:約15,000人 戦傷:約50,000人[2] |
戦死:7,737人 負傷:不明 |
| |
閉じる