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輸送する職業またはその従事者 ウィキペディアから
飛脚(ひきゃく)は、信書や金銭、為替、貨物などを輸送する職業またはその職に従事する人のことである。佐川急便の商標でもある[1]。単純な使い走りとは違い、事業が組織化されているのが特徴である。
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当初は専ら公用であった。律令制の時代には唐から導入された駅制が設けられていた。京を中心に街道に駅(うまや)が設けられ、使者が駅に備えられた駅馬を乗り継いだ。重大な通信には「飛駅(ひえき)」と呼ばれる至急便が用いられた。「飛駅」には「駅鈴」が授けられた。律令制の崩壊に伴い駅制も廃れてしまったが、鎌倉時代には鎌倉飛脚・六波羅飛脚(ろくはらひきゃく)などが整備された。これは京都の六波羅から鎌倉まで最短72時間程度で結んだ(駅逓制度による早馬)。廃絶してしまった「駅」に代わり、商業の発達に伴い各地に作られてきた「宿」が利用された。室町時代には京都御所と鎌倉府を結ぶ「関東飛脚」が設けられた。
戦国時代には、戦国大名をはじめとする各地の諸勢力が領国の要所に関所を設けたため、領国間にまたがる通信は困難になった。戦国大名は書状を他の大名に送るため、家臣や寺僧、山伏が飛脚として派遣された。これらは連携が進む一方、しばしば密使であったので業態化しなかった。また、人目を忍ぶため徒歩が増えた。
江戸時代に入ると、五街道や宿場など交通基盤が整備され、飛脚による輸送・通信制度が整えられた。江戸時代の飛脚は馬と駆け足を交通手段とした。公儀の継飛脚の他、諸藩の大名飛脚、また大名・武家も町人も利用した飛脚屋・飛脚問屋などの制度が発達、当時の日本国内における主要な通信手段の一翼を担ってきた。飛脚が運んだものは、信書や小荷物から金銀にまで及んだ[2]。
飛脚は明治以降の郵便制度に比較すると費用的に高価で天候にも左右された。また江戸―大阪間は一業者で届けられたのに対し、江戸以東の蝦夷、大阪以西へは別業者に委ねられたが、連携は必ずしも円滑ではなかった。このような理由で、期日に届かないことも多かった。毎日配達しないため、近世の書簡は案件をまとめて記されることが多く、費用的に安価であることや儀礼的な理由で飛脚を用いずに私的な使用人を介して伝達されることも多かった。
明治時代に入った1871年(明治4年)、駅逓司に所属していた前島密の提案でイギリスの郵便制度を参照しつつ、従来の飛脚の方法をも取り入れて郵便制度を確立した。飛脚業は郵便事業の発達により衰退した[3]。郵便料金に対抗して近距離の飛脚料金を郵便の半額にしていたが、前島密は飛脚が全国ネットでない事と世界へ手紙が届けられない事で佐々木荘助(飛脚問屋側の代表)と話し合った結果、郵便制度に並行する形で飛脚問屋は陸運元会社として再組織され(更に「内国通運」を経て現在の日本通運)、小荷物・現金輸送に従事した。飛脚として活躍した人々は、郵便局員や人力車の車夫などに転じていった。
現代の飛脚といえば、宅配便、軽貨物便、自転車便、バイク便などが相当する。佐川急便は自社のトラックに飛脚の絵を描いている。(2007年より江戸時代の飛脚の絵から、セールスドライバーをデザインした新飛脚マークに変更)。
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江戸時代中期〜明治初年における民間の飛脚問屋は、基本的には決められた「定日」に荷物を集荷すると、荷物監督者である「宰領」が主要街道の各宿場の伝馬制度を利用して人馬を変えながらリレー輸送した。荷物を付けた馬と馬方を引き連れた宰領は乗馬し、防犯のため長脇差を帯刀した。宿泊は指定の「飛脚宿」に泊った。途中、人馬継立の渋滞、現金盗難、河川増水(川止め)、地震遭遇など不慮の人災・天災により延着・不着・紛失もあった。高額の金を支払い、一件のために発したのを「仕立飛脚」といい、また早便として「六日限」「七日限」などの種類があったが、遅れがちであった。飛脚問屋が特権にこだわったのは、延着、賃銭(値上げ)などの課題を抱えていたからだと思われる[独自研究?]。
『守貞謾稿』は当時のシステムを具体的に説明している。江戸 - 京坂を結ぶ飛脚のうち最低料金のものを「並便り」と呼び、日数の保証はなかった。昼間のみの運行であり、また駅馬の閑暇を利用して運行する関係上、片道概ね30日を要したという。これより急を要する場合、所要10日の「十日限」(とおかぎり)、6日の「六日限」あるいは「早便り」の利用となったが、東海道の通信量増加と共に各宿での滞貨が増大、それぞれ2〜3日の延着が通例になったという。そこで江戸 - 上方を6日間で走ることを約した定飛脚が登場し、「定六」または「正六」と呼んだ。更に火急の書状では「四日限仕立飛脚」が組まれることもあり、料金4両を要したという。これらの飛脚に便乗させる形で書簡を託すことも可能であり、「差込」(さしこみ)と称した。運賃2〜3分という。こうした便乗は概ね世界的な傾向であった[独自研究?]。
江戸時代の日本の飛脚については『駅逓誌稿』、日本通運『社史』などが基本文献である。研究論文に関しては藤村潤一郎による論文・翻刻の業績数が群を抜く。国内外の通信の歴史については星名定雄『情報と通信の文化史』(法政大学出版局)がある。日本の飛脚研究は、近年の高度情報社会を背景に情報史の領域で扱われる傾向にある[独自研究?]。
飛脚は浄瑠璃や古典落語川柳狂歌などに登場し、庶民に親しまれていた。
また、時代小説の題材にも取り上げられている。
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