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ミド(アラビア語: ميدو, ラテン文字表記: Mido)ことアハマド・ホサーム・フセイン・アブドゥルハミード(アラビア語: أحمد حسام حسين عبد الحميد, ラテン文字表記: Ahmed Hossam Hussein Abdelhamīd, 1983年2月23日 - )は、エジプト・カイロ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(センターフォワード)。
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2008年のミド | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
アハマド・ホサーム・フセイン・アブドゥルハミード أحمد حسام حسين عبد الحميد Ahmed Hossam Hussein Abdelhamīd | |||||
ラテン文字 | Mido | |||||
アラビア語 | ميدو | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | エジプト | |||||
生年月日 | 1983年2月23日(41歳) | |||||
出身地 | カイロ | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1999 | ザマレク | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2000 | ザマレク | 4 | (3) | |||
2000-2001 | ヘント | 21 | (11) | |||
2001-2003 | アヤックス | 40 | (21) | |||
2003 | → セルタ (loan) | 8 | (4) | |||
2003-2004 | マルセイユ | 22 | (7) | |||
2004-2006 | ローマ | 8 | (0) | |||
2005-2006 | → トッテナム (loan) | 36 | (13) | |||
2006-2007 | トッテナム | 12 | (1) | |||
2007-2010 | ミドルズブラ | 25 | (6) | |||
2009 | → ウィガン (loan) | 12 | (2) | |||
2009-2010 | → ザマレク (loan) | 15 | (1) | |||
2010 | → ウェストハム (loan) | 9 | (0) | |||
2010 | → アヤックス (loan) | 5 | (2) | |||
2011-2012 | ザマレク | 3 | (2) | |||
2012-2013 | バーンズリー | 1 | (0) | |||
1999-2013 | 通算 | 221 | (73) | |||
代表歴2 | ||||||
1999-2001 | エジプト U-20 | 13 | (0) | |||
2001-2009 | エジプト | 51 | (20) | |||
監督歴 | ||||||
2014 | ザマレク | |||||
2015 | イスマイリー | |||||
2016 | ザマレク | |||||
2016-2017 | ワディ・デグラ | |||||
2018-2019 | アル・ワフダ | |||||
2019-2020 | エル・マカーサ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月23日現在。 2. 2016年12月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
2001-02シーズンよりアヤックス・アムステルダムへ加入する。初年度にリーグ戦12ゴールを記録し、クラブのエールディヴィジ制覇に貢献。2002年にはアフリカ年間最優秀若手選手に選出された。翌シーズンは序列を下げ、後半戦はセルタ・デ・ビーゴへ期限付き移籍。8試合出場4得点を記録する。セルタは完全移籍での獲得を希望したが、移籍金がネックとなり実現しなかった。
2003年7月11日、移籍金600万ユーロでリーグ・アンのオリンピック・マルセイユへ移籍[1]。同じく新加入のディディエ・ドログバと共にアラン・ペラン監督の下で前線を形成する。2004年4月14日のUEFAカップ準々決勝・インテルナツィオナーレ・ミラノとの第2戦、ドログバを累積警告で欠く中でこの試合唯一となる得点を挙げ、クラブの準決勝進出に貢献した[2]。
2004年8月31日、セリエA・ASローマへ移籍[3]。しかし出場機会は限られ、2005年1月26日にマルティン・ヨル率いるトッテナム・ホットスパーFCへ1年半の期限付き移籍となる[4]。2月5日のポーツマスFC戦でスタメンに起用されプレミアリーグでデビューすると、2ゴールを奪い3-1での勝利に貢献[5]。11月20日のウェストハム・ユナイテッドFC戦では相手サポーターから人種差別的なチャントを受け、ハマーズのアラン・パーデュー監督から謝罪された[6]。2005-06シーズンで27試合出場11得点を記録。シーズン終了に伴いローマに戻るが[7]、ルチアーノ・スパレッティ監督の構想には入らず2006年8月26日にスパーズへ完全移籍する[8]。
2007年8月16日、移籍金600万ポンド(約13.5億円)の4年契約でイングランドのミドルズブラFCへ移籍した[9]。2008年11月29日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦では、サポーターから再び人種差別的な扱いを受ける[10]。2009年1月23日には、エミール・ヘスキーの移籍でFWの層が薄くなっていたウィガン・アスレティックFCへシーズン終了までのローン移籍となり、代表でもコンビを組んでいるアムル・ザキとともにプレーした[11]。
クラブは2008-09シーズンにリーグ19位となりチャンピオンシップへ降格。2009年夏にクラブはリロイ・リタを獲得しガレス・サウスゲート監督から放出を示唆される[12]。同年8月4日に母国のアル・ザマレクへローンで復帰したが[13]、2010年2月1日からシーズン終了までウェストハム・ユナイテッドFCへ期限付き移籍しイングランドに復帰した[14]。
2010年9月1日にマルコ・パンテリッチの後釜として古巣アヤックスへシーズンローンで復帰[15]。マルティン・ヨルと再会しジョーカー的な役割として起用されたが、フランク・デ・ブール監督に代わってからは構想外となり、2011年1月21日、再びザマレクへ3年半の契約で完全移籍。かつてエジプト代表で険悪な関係となったハッサン・シェハータ監督をクラブが招聘するため、2012年5月6日にザマレクを去る[16]。翌月21日にチャンピオンシップのバーンズリーFCへ完全移籍し、通算5度目となるイングランド復帰となった[17]。
マハムード・エル=ゴハリ監督によりエジプト代表に初招集されると、2001年1月6日の国際親善試合・UAE戦で代表史上最年少となる17歳でデビュー[19]。スタメンに名を連ねると50分に同点弾を挙げ、2-1での勝利に貢献した。
母国開催となったアフリカネイションズカップ2006では、1月20日に行われたリビアとの大会開幕戦で先制点を挙げ3-0の勝利に貢献した[20]。
2014年1月20日、キャリアをスタートしたアル・ザマレクの監督に就任[21]。エジプト・プレミアリーグ史上最年少の指揮官となった[22]。クラブを同年のエジプト・カップ制覇へ導き、同大会最年少記録となった。しかしリーグ戦では3位に留まり、7月30日に解任された[23]。
2016年1月4日から再びザマレクを指揮したが、翌月10日に解任となる[24]。
2016年11月7日、ワディ・デグラSCの指揮官に招聘されることが発表された[25]。
2018年12月にサウジ・プロフェッショナルリーグのアル・ワフダ・メッカの監督に就任するが、翌年3月19日にTwitterでの発言が原因で解任された[26]。
2019年6月9日よりミスル・レル・マカーサSCの指揮を執るが[27]、翌年1月22日に成績不振によりその職を解かれた[28]。
問題児として有名で数々の破天荒な言動が目立つ。
2002年に同郷のYosra Waelと結婚している[30]。
現役引退後は体重が増加し一時150kgに達したが、医師の忠告を受け2018年に37kgの減量に成功した[31]。
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
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試合 | 勝 | 分 | 負 | 勝率 % | |||
ザマレク | 2014年1月21日 | 2014年7月29日 | 31 | 16 | 8 | 7 | 51.61 |
イスマイリー[35] | 2015年7月15日 | 2015年12月20日 | 9 | 5 | 1 | 3 | 55.56 |
ザマレク | 2016年1月4日 | 2016年2月9日 | 7 | 4 | 1 | 2 | 57.14 |
ワディ・デグラ | 2016年11月8日 | 2017年12月3日 | 42 | 10 | 14 | 18 | 23.81 |
アル・ワフダ | 2018年12月17日 | 2019年3月19日 | 13 | 6 | 3 | 4 | 46.15 |
エル・マカーサ | 2019年6月9日 | 2020年1月21日 | 17 | 3 | 5 | 9 | 17.65 |
合計 | 119 | 44 | 32 | 43 | 36.97 |
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