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沖縄県名護市と宜野座村にまたがる在日米軍海兵隊の基地 ウィキペディアから
キャンプ・シュワブ(英語: Camp Schwab)は、沖縄県名護市と国頭郡宜野座村にまたがる在日米軍海兵隊の基地。総面積は、約20.63km2で、名護市の約1割を占めている。施設・区域の上空2000フィートまで米軍による使用が認められている。キャンプ名は、1945年(昭和20年)5月7日に沖縄戦で戦死し名誉勲章を受章したアルバート・アーネスト・シュワブ一等兵(Albert Earnest Schwab)の名に因む。
キャンプ・シュワブは国道329号から西海岸に立地するキャンプ地区と海岸段丘から辺野古岳と久志岳にわたる訓練地区(中部訓練場)からなる。キャンプ地の北側には辺野古弾薬庫が、また訓練地区の南側はキャンプ・ハンセンと隣接し、沖縄本島中部を分断する広大な中部訓練場の北側部分を構成している。
キャンプシュワブの北側に隣接し辺野古弾薬庫がある。
キャンプ・シュワブに隣接する米軍基地 | ||
FAC6009 | キャンプ・シュワブ | キャンプ・シュワブ |
キャンプ・シュワブ訓練場 | ||
キャンプ・シュワブLST繋留施設 | ||
FAC6010 | 辺野古弾薬庫 | 辺野古弾薬庫 |
辺野古海軍弾薬庫 | ||
FAC6011 | キャンプ・ハンセン | キャンプ・ハンセン |
キャンプ・ハンセン訓練場 |
第3海兵遠征軍第3海兵師団(第4海兵連隊、戦闘強襲大隊及び第3偵察大隊)、その他(陸軍、海軍、空軍がレンジ等を使用)
使用目的:宿舎、各種娯楽施設、管理事務所及び訓練場
国道329号(※同時に国道331号も重複)より西側の内陸部に位置するシュワブ訓練地区と、東側海岸部となるキャンプ地区に分かれている。
北側には辺野古弾薬庫が隣接。またシュワブ訓練地区は、中部訓練地域(Central Training Area)と呼ばれる大きな演習場の北側を形成し、以南は、キャンプ・ハンセン訓練地区に隣接している。
また海岸には LST (戦車揚陸艦) と水陸両用車の強襲揚陸演習のできる海兵演習場と訓練海域がある。久志岳の麓は実弾訓練の着弾地区となっているほか、廃弾処理場として使用されている。
現在キャンプ・シュワブの沖合で、基地建設が始まっているが、この海域は絶滅危惧種のジュゴンの生息北限であることなどから、住民をはじめ自然保護団体や反戦運動団体から反対の声が挙がっている。
2006年(平成18年)9月には、移設に先立つ文化財調査を巡って公務執行妨害容疑で平和市民連絡会の共同代表である牧師が逮捕された(その後釈放されている)。団体側は不当逮捕と訴えている[13]。
この反対派の「妨害」行為に対応するためとして、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が派遣された。久間章生防衛相は、短時間に器具の設置を行うために防衛施設庁から依頼があったため、国家行政組織法に基づいて派遣を決定したとしている。ただし、警備などの行動は行わないとしている。
普天間基地「移設」に関する事業で、自衛隊の艦艇が派遣されるのは異例であり、ぶんごは12.7mm重機関銃や76mm砲などの武装を備えているため、反対派は「活動そのものを威圧するもの」、「旧日本軍を思い出させる。」として批判している[14]。仲井真弘多沖縄県知事も『(掃海母艦を出すのは)銃剣を突きつけているような連想をさせ、強烈な誤解を生む。防衛省のやり方はデリカシーに欠ける』と抗議を行った[15]。掃海母艦の派遣決定以降、インターネット上でも反対派の活動がより活発になった。結局、「ぶんご」は、調査に隊員を派遣したものの、調査海域に姿を見せなかった[16]。
2007年(平成19年)5月19日、移転のための現況調査作業を海中で行っていた調査会社のダイバーが、タンクの空気を吸うため口にくわえたレギュレーターを反対派と見られるダイバーから外されたというダイバーからの申告があり、その他にも調査への妨害があったという主張が現場からなされたため、海上保安本部の第11管区が捜査に乗り出している[17][18]。それに対して、反対派は事実ではないと反論している。
反対派は非暴力による抗議をしているダイバーに海上保安庁、海上自衛隊の職員が水中で殴る蹴るの暴行を加えるなど悪質な態度を取っていると主張をしている[19]。
また、調査機器の設置により珊瑚が破壊されていることが5月21日までに時事通信社の報道で判明した[20]。琉球新報や北海道新聞もこの事実を伝え、国の調査方法を批判した[21][22]。
2007年(平成19年)6月6日に発覚した情報保全隊の市民活動監視問題に関して、社会民主党の福島瑞穂党首と保坂展人議員は6月8日に市ヶ谷の防衛省を訪問し、守屋武昌事務次官に市民活動監視は不当・不法として抗議を行ったが、その際に守屋次官はキャンプ・シュワブでの基地移設反対運動についても、海自の情報保全隊が事後の情報収集を行っていると言及したと保坂議員は自身のブログで報告している。ただし守屋次官はその後の記者団との非公式会見ではこの事を否定しており、各社の報道は両論併記となった[23]。
一方で、現地にて環境現況調査(反対派は中止を要求)を受注したいであの作業員が、阻止行動に出ている反対派関係者に対し殺人未遂同然の行為(スクーバダイビング装備の水中でのバルブ閉止)を行なったとして防衛省に対し抗議がされている[24]。ただし、この被害者は現時点で警察に被害届を出しておらず、バルブ閉止を行った物的証拠なども今のところ存在しない。
2010年(平成22年)1月24日、沖縄県名護市市長選挙が投開票され、アメリカ軍基地の普天間飛行場について同市辺野古沖への「移設」に反対する無所属新人で前市教育長の稲嶺進の当選が確定した。2006年(平成18年)に日米両政権が合意したキャンプ・シュワブ沿岸部への同飛行場「移設」計画の実行が地元住民の反対にあって暗礁に乗り上げる可能性もある。鳩山由紀夫内閣は2009年(平成21年)にこの移設問題の結論を5月に持ち越すことを明らかにし、県外移設の可能性を探っていたが有力な候補地が見つからず、最終的に県外移設を反故にした経緯がある。
辺野古・久志地区の文化財および遺跡調査は米軍基地内に存在するため、非常に困難な状況にあり、埋蔵文化財を含む調査発掘等はほとんど進展していない。また文化財調査で発掘された陶器などの遺物も、米軍の許可を得ることができず、そのまま現地にもどすことを余儀なくされている[25]。
キャンプ・シュワブ内には、現在判明しているだけでも、思原遺跡、大又遺跡、思原長佐久遺物散布地、思原石器出土地、ヤニバマ遺物散布地、美謝川集落関連遺跡群、大浦崎収容所跡、長崎兼久遺物散布地の8遺跡が確認されており、海岸線沿いのキャンプ地と、辺野古基地の埋め立て区域に点在している[26]。
普天間代替施設の埋立区域となっているキャンプ・シュワブ海域において2014年から埋蔵⽂化財分布調査が行われ、縄文時代の大山式土器、石器や石錘、陶器や磁器など様々な時代にわたる多数の遺物が確認された。特に、2015年2-3月の文化財調査では北側の護岸建設予定地から県内でも数個しか発見されていない琉球王国時代の碇石が発掘された。名護市教育委員会は発掘で得られた碇石に関しアメリカ軍に引き渡しを求めていたが、6月12日にようやく返還された[27][28]。
辺野古基地埋立の土砂採集予定地となっている美謝川集落関連遺跡群では、琉球王朝時代の街道「国頭方東海道」の遺構などが確認されている。
2017年12月12日、米海兵隊がその公式ホームページでシュワブの沿革に久志村を大浦崎市と誤って記載していたことを東京新聞が指摘した後、海兵隊が大浦湾収容所の記載そのものをすべてページから削除したことがわかった[29]。今もキャンプ・シュワブのページには、米軍が管理し運営していた「大浦崎収容所」の記述はない[30]。
2020年12月7日、名護市教育委員会は、キャンプ・シュワブ内に今も残る遺跡大浦崎収容所跡の発掘調査と保存に関し、ほとんど調査もされていないことから沖縄防衛局を通して現状保存を求めてきたが、防衛局は米側の意向で現状保存を行わないことを明らかにした[31]。大浦崎収容所跡地については、基地内にあるため実態調査も十分になされておらず、この地で米軍に強制収容され亡くなった住民の数は少なくとも304人であることが沖縄県平和祈念資料館の資料で明らかとなっているが[32]、1956年に基地として接収されたまま、遺骨などの調査も不十分であることが指摘されている[33]。
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