大島味膳ウィキペディア フリーな encyclopedia 大島 味膳/大嶋味膳(おおしま みぜん、文化14年(1817年)[1]-没年不明)は幕末の日向国延岡藩士。明治時代初期の延岡士族。通称は味膳。明治5年(1872年)の太政官布告による戸籍登録名の一本化以降である明治10年(1877年)10月2日の『薩軍口述書』でも「大島味膳」。 幕末は延岡藩の重臣を勤め、西南戦争では延岡士族で鹿児島県宮崎支庁長である藁谷英孝の求めに応じて、塚本長民とともに西郷隆盛率いる西郷軍に呼応した党薩諸隊の一つである延岡隊を組織し、その軍事世話役となる。
大島 味膳/大嶋味膳(おおしま みぜん、文化14年(1817年)[1]-没年不明)は幕末の日向国延岡藩士。明治時代初期の延岡士族。通称は味膳。明治5年(1872年)の太政官布告による戸籍登録名の一本化以降である明治10年(1877年)10月2日の『薩軍口述書』でも「大島味膳」。 幕末は延岡藩の重臣を勤め、西南戦争では延岡士族で鹿児島県宮崎支庁長である藁谷英孝の求めに応じて、塚本長民とともに西郷隆盛率いる西郷軍に呼応した党薩諸隊の一つである延岡隊を組織し、その軍事世話役となる。