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東京都、伊豆諸島にある島 ウィキペディアから
新島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京から南に約160km、静岡県下田市から南東に36kmの位置にある。
東京からわずか160km南という比較的に本州に近い位置にあるものの、現在も美しい自然環境が残されており、空気は非常に清浄で、星空や海の美しさは首都圏とは比べ物にならない。サーファーや海水浴客などに主眼を置いた観光業、漁業などが盛んである。
後期更新世頃に活動を開始したと推定される火山島であり、主に流紋岩・一部玄武岩質溶岩からなる単成火山群となっている。島の最高地点は宮塚山の標高432mで、約1.7万年前の噴火によって形成された。最新の噴火は886年に発生したもので、この時の噴火によって新島の南半部(向山)が形成された[1]。火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている[2]。
島周辺では地震活動も活発で、1936年の地震では島内で死者が出るなど、被害地震も度々発生している。近年では1991年、2000年に群発地震が発生しており、2000年の群発地震では島内の道路が一部崩落し、島内北部に位置する「若郷」へと続く道が寸断されるなど、大きな被害が出た。なお、今でも山肌が露出している場所はあるもののインフラ面は完全に復興している。
地質は流紋岩が多いため、島全体を通して砂や地面が白く美しい。その様は右記の画像でも見て取れる。主に向山で採掘される石は、イタリアのリパリ島と、天城山・伊豆諸島北部でしか産出されない抗火石(こうがせき、コーガ石)というもので、建築用、装飾用として珍重されている。
気候は年間を通じてやや温暖。常夏と言うほどでは無いが東京よりは暖かく、降雪することはめったに無い。また、外洋に面しているため風が強い日が多く、特に冬は「西ん風」と呼ばれる強い西風が毎日のように吹く。
新島(2003年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.4 (66.9) |
20.5 (68.9) |
22.5 (72.5) |
24.7 (76.5) |
27.7 (81.9) |
31.0 (87.8) |
34.2 (93.6) |
34.1 (93.4) |
32.2 (90) |
30.5 (86.9) |
25.3 (77.5) |
23.9 (75) |
34.2 (93.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 11.5 (52.7) |
12.2 (54) |
14.8 (58.6) |
18.5 (65.3) |
22.0 (71.6) |
24.3 (75.7) |
27.9 (82.2) |
29.6 (85.3) |
27.1 (80.8) |
22.7 (72.9) |
18.8 (65.8) |
14.1 (57.4) |
20.3 (68.5) |
日平均気温 °C (°F) | 8.9 (48) |
9.5 (49.1) |
11.8 (53.2) |
15.5 (59.9) |
19.1 (66.4) |
21.8 (71.2) |
25.3 (77.5) |
26.8 (80.2) |
24.5 (76.1) |
20.4 (68.7) |
16.3 (61.3) |
11.6 (52.9) |
17.6 (63.7) |
平均最低気温 °C (°F) | 5.5 (41.9) |
6.1 (43) |
8.2 (46.8) |
12.0 (53.6) |
15.9 (60.6) |
19.4 (66.9) |
23.1 (73.6) |
24.6 (76.3) |
22.1 (71.8) |
17.7 (63.9) |
13.1 (55.6) |
8.3 (46.9) |
14.7 (58.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −1.8 (28.8) |
−2.0 (28.4) |
−2.0 (28.4) |
3.1 (37.6) |
7.7 (45.9) |
12.7 (54.9) |
16.3 (61.3) |
19.2 (66.6) |
15.0 (59) |
9.2 (48.6) |
2.5 (36.5) |
−2.1 (28.2) |
−2.1 (28.2) |
降水量 mm (inch) | 101.4 (3.992) |
134.3 (5.287) |
187.0 (7.362) |
173.4 (6.827) |
184.0 (7.244) |
261.5 (10.295) |
205.3 (8.083) |
169.1 (6.657) |
195.1 (7.681) |
313.5 (12.343) |
182.8 (7.197) |
117.5 (4.626) |
2,225 (87.598) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 8.3 | 9.6 | 12.0 | 10.7 | 10.0 | 12.2 | 9.8 | 8.2 | 11.6 | 11.8 | 11.2 | 9.1 | 124.4 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
黒潮に乗って多くの海洋生物が島周囲には集まり、ミナミハンドウイルカ(御蔵島周辺の個体らが本島や利島等伊豆諸島周辺海域や本州沿岸に定着を始めたと思われる)やウミガメ等が見られ、鯨類は捕鯨時代以前と比べ非常に数も種類も少ないが、黒潮に乗ってきたマッコウクジラやザトウクジラ、マンタなどが近海で見られる事もある。
非常に貴重な動物が観察される事もあり、1989年には、国内で初めてキタゾウアザラシが確認された[4][5]。
縄文時代から人が暮らしていた可能性があるとされており、出土品も存在する。また、現在でも島特有の方言や題目が残っていたり、冠婚葬祭時には、都心部ではすでに消滅しているような伝統的な儀式を今でも行うなど、旧来の文化が島民の生活に色濃く残っている。
平安時代、838年に神津島で起きた火山噴火に際し、新島島民が神津島の島民全滅を朝廷に報告した記録があり(『続日本後紀』)、その50年後である886年には新島自体が火山噴火によって、島民が全滅しているが、報告するものがいなかったとされる[8]。
新島は江戸時代から1871年まで代表的な流刑地の一つとして利用されていた。上平主税(十津川郷士)や相馬主計(元新撰組隊士)など、政治犯を中心とした流人が多く流されてきており、島で再度重い罪を犯した者は、絞首刑とされた。総勢で1,333人が流されたが、島人は彼らに暖かく接したという伝記が残されている。今でも島内の墓地の中には一段低い場所に流人墓地が存在するが、新島特有の白砂が敷き詰められていて、サイコロ型や酒樽型の墓石などもあり、村人が日々花をたむけるため温かい雰囲気がある。
また、流人の刑場であった向畑刑場跡へと続く道には柳が生えており、刑が執行される直前、罪人が現世を懐かしんで振り返った場所であったことから「見返り柳」と呼び、今でも供養の花や酒が供えられている。
長い歴史を裏付けるように、島には今でも数多くの物語・民話が残っている。「山ん婆」や「よべーむん(呼ぶ者、の意)」、海坊主、魔物(まむん)、人魚など妖怪の類の話なども多くあるが、中でも海難法師の話は漫画『地獄先生ぬ〜べ〜』などにも引用されるなど、非常に有名である。海難法師は伊豆諸島の島ごとに少しストーリーが異なっており、リンク先の話とは異なるが、ここでは新島の例の概要を紹介する。
今でもその話を信じる習慣は残っていて、1月24日は「かんなんぼーし」と呼び、漁業を控え、夜は外出せず静かに過ごし、扉にはトベラの小枝を挿して早寝する。代官の宿であった者の自宅では祠を設けて霊を祀り、現在でも当日の深夜に海岸へ向かう等の無言の行を行う。その翌日は子だまり、と言われており、子供を中心に同じことが行われるが、そうして親子2回に分けて催行される経緯は不明。
1980年代には『新島の伝説』のような曲がリリースされるなど「ナンパの島」などと呼ばれていた[9]が、現在は家族連れの観光客やサーファーが訪れる島である。
新島には多数の海岸が存在し、ほとんど全てに無料のシャワーが設置されている。
羽伏浦海岸は世界的にも有名なサーフスポットであり、世界プロサーフィン連盟 (ASP) の大会にも使用され、ジェリー・ロペスやアンディ・アイアンズ、ケリー・スレーターなど古今東西のトッププロも訪れた。近年も日本のトッププロやトップアマチュアを決める日本プロサーフィン連盟 (JPSA)、日本サーフィン連盟 (NSA) のツアーに使用されたり、東京都知事杯の大会が開かれるなどしている。ビーチブレイクなため、時期や台風などのせいで地形が変わることがある。しかし、島嶼特有の条件として海底が急激に浅くなっているため、遠洋からパワーを維持したまま到達した波が一気に掘れ上がり、チューブを巻くことも多くある。パワーがあるとは言え、基本的には流れが強いわけではなく初心者でもサーフィンを楽しめるが、波が大きな時には特にインサイドで激しい流れが起きるので、注意が必要。また、大型のヒラメやマダイが釣れることでも有名。
淡井浦海岸も羽伏浦と同じ方角にあり、サーフィンの出来る良い波が立つが、村内から離れているため海水浴客がいることは稀である。ここにも無料シャワーは設置されている。
前浜海岸はテトラポッドや桟橋に囲まれている。そのため波があまり来ず、水の透明度がかなり高くなっており、海水浴向きのビーチである。やや遠浅で、波打ち際の海中ではコチの稚魚やフグなど様々な魚が発見出来る。桟橋からは自由に釣りをすることも出来、サバやアジ・タカベ、カンパチ、マダイ、メジナなど様々な魚が釣れ、高級食材でもあるアカイカなどは時期や年によっては入れ食い状態となる。
若郷前浜海岸は、上記の通り黒砂の海岸である。若郷に通じる旧トンネルは2000年の群発地震により閉鎖され、2004年に開通した新トンネルは自転車、歩行者の通行が禁止されているため注意を要する。
間々下海岸からは式根島が臨める。また、鳥島という小島に歩いて行くことが出来たり、海中に岩などがあることから、海水浴やシュノーケリングなどを楽しむことが出来る。台風などで他所がクローズするほどサイズが上がった時にはサーフィンをすることも出来るが、岩があるために注意が必要である。
伊豆七島で最大規模の十三社神社、日本の離島で最長の2878mを誇る平成新島トンネル、日蓮宗三松山長榮寺、白ママ断崖、エビネ公園、流人墓地、謎の榎、富士見峠、向山展望台、親水公園、原町の井戸(まいまいず井戸)、防衛省防衛装備庁ミサイル試射場など多数の観光スポットがある[10]。
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