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『月よりの使者』(つきよりのししゃ)は、久米正雄の小説作品、及びそれを原作とした映画・ドラマ化作品である。または、1949年製作の映画版・1966年製作のドラマ版の同名主題歌。
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長野県にある実際のサナトリウムであった富士見高原療養所の建物が映画の撮影に使用された。当時の建物は現在取り壊され移転。現在の富士見高原医療福祉センター富士見高原病院隣に出来た富士見高原医療福祉センター内の「旧富士見高原療養所資料館」に、サナトリウム当時の資料は保管展示されている。
舞台は長野県の高原にあるサナトリウム。複雑な過去を持つ野々口道子は辛い過去から逃れるために今では看護師としてこの療養所に勤務しており、類稀な気高い美貌の持ち主であることから「月よりの使者」と患者達からは呼ばれていた。患者の中に転地療養に来た弘田進と橋田広がおり、道子は毎日分け隔てなく献身的に患者の看護にあたっていたのだが…
1934年3月29日公開。入江プロダクション・新興キネマ。 ロサンゼルスの全米日系人博物館所蔵の「バン・コレクション」からフィルムが再発見され、2008年に98分版が再上映された。後に詳細不明のフィルムが本作と同定され、147分版に修復された。国立映画アーカイブ所蔵。[1]
ほか
佐々木俊一の作曲した「月よりの使者」だが、歌の出だし三小節目までが前年に発売されヒットした古賀政男作曲の「三百六十五夜」と酷似している。作詞者の佐伯孝夫は、佐々木に対し曲のイメージを「三百六十五夜」風なものと注文し、それに答えた佐々木が、良く似た出だしの曲を作曲したといわれている。著作権侵害に当たる行為だと思われるが、これには伏線があって、佐々木は作曲する前に「三百六十五夜」作曲の古賀政男宅を訪れ、曲使用の了承を得ていたため問題にはならなかった。
1954年9月22日公開。大映。カラー作品。配給収入は1億6491万円[2]。
1961年10月12日~10月19日に日本テレビ「武田ロマン劇場」(武田薬品工業一社提供)枠の第1回として放送された。
1966年7月11日~9月2日にフジテレビ「ライオン奥様劇場」枠にて放送された。
1972年8月28日~10月27日にTBS「花王 愛の劇場」枠にて放送された。
TBS 花王 愛の劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
喜びも悲しみも幾歳月
(1972.7.10 - 1972.8.25) |
月よりの使者
(1972.8.28 - 1972.10.27) |
乳房よ永遠に
(1972.10.30 - 1972.12.29) |
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