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日本の物理学者 ウィキペディアから
江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年(大正14年)3月12日[1] - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。
1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった[2]。
大阪府中河内郡高井田村(現在の東大阪市)で生まれ、京都市で育つ。1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。1956年、東京通信工業株式会社(現在のソニー)に移籍する。半導体研究室の主任研究員として、PN接合ダイオードの研究に着手し、約1年間の試行錯誤の後、ゲルマニウムのPN接合幅を薄くすると、その電流電圧特性はトンネル効果による影響が支配的となり、電圧を大きくするほど逆に電流が減少するという負性抵抗を示すことを発見した。
発見の顛末については、当時東通工が製造していたゲルマニウムトランジスタの不良品解析において、偶然トンネル効果を持つトランジスタ(製品としては使い物にならない)が見つかったことが発見のきっかけであることが、後にNHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」の中で当時の関係者により語られている(詳しくはトランジスタラジオ#日本における歴史を参照)。
この発見は、物理学において固体でのトンネル効果を初めて実証した例であり、かつ電子工学においてトンネルダイオード(またはエサキダイオード)という新しい電子デバイスの誕生であった。この成果により、1959年に東京大学から博士の学位を授与されている。1973年には、超伝導体内での同じくトンネル効果について功績のあったアイヴァー・ジェーバーと共にノーベル物理学賞を受賞した。同年の物理学賞はジョセフソン効果のブライアン・ジョゼフソンにも与えられている(賞金はジョセフソンが1/2、江崎とジェーバーが1/4ずつ)。
1960年、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍。磁場と電場の下における新しいタイプの電子-フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行った。さらに分子線エピタキシー法を開発し、これを用いて半導体超格子構造を作ることに成功した。
1992年、筑波大学学長に就任した。学長として6年、産・官・学連携の拠点として先端学際領域研究センター(TARAセンター)の立ち上げ等、大学改革の推進を行った [注 1]。
2000年、首相の小渕恵三からの要請により、教育改革国民会議の座長に就任。合計13回の全体会議等を通じ、「教育を変える17の提言」を骨子とする最終報告を纏め上げた。
2003年にナノサイエンス分野の業績を顕彰する科学賞として江崎玲於奈賞が創設され、その選考委員長に就任した。そのほか日本学術振興会賞、沖縄平和賞などの選考委員も務めている。
2024年2月現在、存命の日本人ノーベル賞受賞者では最古参であり、唯一1970年代以前の受賞者である。また、1981年9月に湯川秀樹が死去してから、同年福井謙一の受賞が決まるまでの間は、江崎が存命する唯一かつ最高齢の日本人ノーベル賞受賞者となっていた。さらに1998年に福井謙一が死去してから、2008年に南部陽一郎受賞が決まるまでは再び最高齡の日本人ノーベル賞受賞者となり、2015年に南部陽一郎が死去して以降は、三度最高齡の日本人ノーベル賞受賞者となった。
「玲於奈」という珍しい名前の由来について、以下のように語っている[4]。
父は最初、獅子の如く勇敢になれということで「レオ」にしようと思ったのですが、今までにない名前ですから役所の人が驚いて「レオナ」とする方が据わりが良いのではと言ってきた、という話を母から聞きました。レオナルド・ダ・ヴィンチをまねしたといってもいいかもしれませんが、父が世界に通じる名前をと考えたのは、その頃大正デモクラシーが叫ばれ、産業の都である大阪が大変栄えていた背景があります。外国に行くとレオというのは非常に簡単で、みんな覚えてくれる。国際的に活躍するのには、良い名前だと思います。
子供の頃に患っていた吃音症について、以下のように語っている[5]。
小学校で私が直面した問題は吃音であった。思うようにコミュニケーションができない。これはちょっとした苦痛だった。これについては母が自責の念にかられた、ちょっとした物語がある。1927年8月、私は2歳5か月くらいで全く覚えていないが、淡路島の南に位置する沼島という小さな島に滞在して夏の海辺を楽しんでいた。ところが滞在した家に5歳くらいの悪さをする女の子がおり、たまたま縁側にいた私を後ろから突き落としたというのである。
母が急いで私を抱き上げたが声が出ず、しばらくしてやっと口をきいたまではよいが、発音がひどく不自由になり、それがすぐには治らなかったという。腹式呼吸とか、様々な治療を試みたが効果は乏しかった。しかし、大きくなるにつれて、吃音は次第に姿を消してくれた。下手な英語では不思議にほとんど不自由はなかった。
私は早くから、自分は自然を相手とするサイエンスの研究に適した人間ではないかと思っていたが、それは人とあまり話さなくてもよいという条件にかなっていたからである。従って私の場合、吃音はノーベル物理学賞の受賞には、ひょっとするとプラスに働いたのかもしれない。
1994年夏のリンダウ・ノーベル賞受賞者会議で、江崎は「ノーベル賞を取るために、してはいけない5か条」のリストを提案している。
原文:Esaki's “five don’ts” rules
- Don’t allow yourself to be trapped by your past experiences.
- Don’t allow yourself to become overly attached to any one authority in your field – the great professor, perhaps.
- Don’t hold on to what you don’t need.
- Don’t avoid confrontation.
- Don’t forget your spirit of childhood curiosity.
日本語訳
- 今までの行き掛かりにとらわれてはいけない。 呪縛やしがらみに捉われると、洞察力は鈍り、創造力は発揮できない。
- 大先生を尊敬するのはよいが、のめり込んではいけない。
- 情報の大波の中で、自分に無用なものまでも抱え込んではいけない。
- 自分の主義を貫くため、戦う事を避けてはいけない。
- いつまでも初々しい感性と飽くなき好奇心を失ってはいけない。
2000年、教育改革国民会議委員として、以下の発言をする[6]
人間の能力は二つの要因によって定まる。一つは持って生まれた“天性”、即ち遺伝情報であり、もう一つは環境による“育成”、即ち遺伝外情報取得である。一般的に、生物学者や優生学者は“天性”を重視し、社会学者や社会主義者は“育成”を重んずる傾向にあるが、“天性を見出し、育成に努める”のが教育の基本理念である。われわれの容姿や容貌、才能や素質、ある病気にかかる傾向が強いといった各人の特徴はすべてゲノム、遺伝情報としてDNAの中に刻み込まれており、この持って生まれたゲノムは宿命とでも言おうか、決して変えられないのだということ、勿論、平等ではないことを生徒、父母、教師すべて認めなければならない。“天性”を見出すとは、言わば、自分のゲノム解読なのであるが、先生の講話を聞き、級友達と交流する教育環境の中で、知性、感性の受ける様々な刺激が自己発見に結びつく。このように、先ず、自分の“天性”の発見に努め、次に、それが個性的な光彩を放つよう“天性”を最大限生かす“育成”を図るのが教育の目標である。このような教育が実行されれば、国民それぞれが生まれ持つ能力は最大限に発揮されることになり、我が国の社会の活力は限りなく増大することは明らかであろう。
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