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韓国の宗教政治学者 ウィキペディアから
池 明観(チ・ミョングァン、朝: 지명관、1924年10月11日[1] - 2022年1月1日[2])は、韓国の宗教政治学者、評論家、クリスチャン。本貫は忠州池氏[3]。ソウル大学校卒業。
北朝鮮を支持して韓国民主化活動を行っていたが、訪朝後に転向している(2003年3月)。「T・K生」の名で1973年-1988年に雑誌『世界』に『韓国からの通信』を連載した。
朝鮮平安北道(現在北朝鮮)生まれ。1945年に朝鮮半島北部で小学校教師をしている時、ソ連軍に会って「革命であるから、もっともっと日本軍を憎め」と強要されたことを明かしている[4]。
1967年から1968年までニューヨークのユニオン神学校に留学し、帰途来日。1970年から徳成女子大学で教える。韓国において雑誌『思想界』主幹。
1972年、再来日。東京女子大学教授を務め、維新体制に始まる軍事政権に抗する韓国での運動を支援。
当時『世界』の編集長だった安江良介の依頼を受け、キリスト教会の牧師達が持ち出した資料や関係者からの聞き取りをアンカーとしてまとめる「韓国からの通信」の執筆を「T・K生」のペンネームで開始[5]。韓国中央情報部やその後身の国家安全企画部の追跡によっても「T・K生」の正体は解明出来なかったが[6]、2003年に自らが筆者であることを名乗り出たことで明らかになった。
1993年、韓国に帰国。韓国翰林大学校教授を経て、同日本語学研究所所長。韓日文化交流会議委員長、KBS理事長などを歴任した。
2004年-2005年、国際日本文化研究センターへ日文研外国人研究員として京都滞在。2005年5月10日、「韓国現代史と日本について-1973年から1988年まで-」というタイトルで日文研フォーラムで対談(キャンパスプラザ京都)。
北朝鮮を支持して韓国民主化活動を行っていた。
しかし、2003年3月に訪朝して様々な制限・住民の悲惨さを体験し、「悲惨な飢餓に満ち満ちていました」と述べている。自身の知る日本統治時代の朝鮮より貧しい生活を送る北朝鮮の実態を知って、戻って来れた際には声が出なくなるほど精神的に参って日本の病院に入院した。「北の金正日政権を民衆の犠牲がなければ、直ちに無くしてしまいたいと思った」と述べている。
盧武鉉大統領在任時代には韓国人が南北関係のためだとして、北朝鮮に対する指摘などを「支障になるから黙っている」と沈黙強要の状況にあると語っている[4]。
「T・K生」名義
「池明観」名義
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