洪国栄
李氏朝鮮後期の政治家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
洪 国栄(ホン・グギョン、こう こくえい、1748年 - 1781年4月5日)は、李氏朝鮮時代第22代国王正祖時代の政治家。字は徳老(ドクロ)。本貫は豊山洪氏。都承旨(トスンジ)兼宿衛所(スグィソ)の長官。
妹の元嬪を正祖の側室にするが病没。その後、正祖の異母弟の恩彦君の長男の李湛を完豊君として亡き妹の養子にし、世継ぎとして教育する。 外戚が権力を持つ「勢道政治」を行うが、その野心のために朝廷に敵を多く作り、最終的に1779年9月に配流となった。晩年は酒に溺れ、1781年4月、流刑地で側女に看取られながら病没。享年34。
なお正祖の生母の恵慶宮洪氏とは、第14代国王宣祖とその継室の仁穆王后の王女である貞明公主を祖とする遠縁にあたる(恵慶宮洪氏は貞明公主の次男の洪萬容の玄孫、洪国栄は貞明公主の三男の洪萬衡の来孫である)。また、正祖の曾孫で恵慶宮の玄孫である憲宗の母の神貞王后も遠縁である(神貞王后の曾祖母が恵慶宮の叔母にあたる為)。