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日本の弁護士 ウィキペディアから
滝本 太郎(たきもと たろう、1957年1月17日 - )は、日本の弁護士(神奈川県弁護士会所属)[1][2]。1989年からオウム真理教問題に携わり、1995年に設立された「日本脱カルト協会(旧称・研究会)」の理事を歴任した[1][3]。同会の事務局は滝本の大和法律事務所に所在している[1][3]。1995年6月、脱会者の集りである「カナリヤの会」を組織し、その窓口を担当した[4][5]。
2021年、「女性スペースを守る会」の「防波堤役事務局」弁護士に就任し、大和法律事務所に事務所を設置した[1][3][6]。同事務所内に「日本脱カルト協会」と「女性スペースを守る会」の事務所が入居している[1][7]。
1957年1月17日、神奈川県大和市生まれ[1][2]。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業後[8]、早稲田大学法学部を卒業した[2][4]。高校生の頃は新左翼学生運動に参加していたが、大学生の活動家たちが高齢活動家の発言を糾弾する事態に遭遇して違和感を感じ、その後、学生運動から身を引いた[9]。大学卒業後、神奈川県職員を経て司法試験に合格、1983年から弁護士(神奈川県弁護士会所属)[2][4]。
オウム真理教被害者の会を組織した弁護士仲間の坂本堤から「あぐらみたいな格好で空中浮揚しちゃう宗教がある」と聞かされ、オウム真理教の存在を知る。この時は統一教会関係で宗教問題の面倒さを知っていたため一度は関与を断ったが[10]、1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件で坂本が失踪したのを契機に「オウム真理教被害対策弁護団」に加わり[11][12]、山梨県上九一色村の住民の代理人を務める等、オウム真理教をめぐる裁判に関わる[13]。1993年7月からは信者の脱会カウンセリングにも携わるようになった[14][13][15]。麻原彰晃の「空中浮揚」写真が超能力によるものではないことを示すため、自ら同様の写真を撮影し、信者の脱会活動に役立てていた[16][13][17]。
1994年5月9日にオウム真理教の信者らによって、甲府地方裁判所の駐車場で自動車の空気吸入口付近にサリンを散布されるという手段でポア(殺害)を図られた[13][15]。しかし、換気を車内循環にしていたため、縮瞳現象だけで済んだ[13][15]。同年9月は、VX溶剤を自動車のノブにかけられたが、付着させる方法等に問題があったため難を逃れた[13]。同10月にも、VXを使った殺害指示が出されたが、実行には至らなかった[13][12]。さらに同年11月には、出家信者の2歳直前の子どもを取り戻す交渉中に、ボツリヌス毒素入りジュースを飲まされたが、ボツリヌス毒素の製造に失敗していたため、一命を取り留めた[15][12]。このように、1994年以来、オウム真理教の信者によって、複数回にわたって命を狙われた(詳細は滝本太郎弁護士サリン襲撃事件を参照)[4][15][注 1]。
1995年6月、脱会した元オウム真理教信者のケアの場を設けるため、オウム真理教の脱会者やその支援者らで「カナリヤの会」を結成する[5][14]。
2012年1月1日、17年に渡って逃亡し、前年12月31日に出頭・逮捕されたオウム真理教の平田信の私選弁護人に選出されたが、同月11日に辞任した[15]。これは平田を犯人蔵匿した容疑で逮捕された女性の弁護人に選出されたため、利益対立を避けたものと説明された[15][17]。また、同じく長期間逃亡していた菊地直子が逮捕された際、菊地の両親から弁護士に選任された。しかし、その後菊地本人によって、「親に迷惑をかけたくない。国選弁護人を希望する」として、弁護人を解任された[18]。
2018年から、松本元死刑囚(麻原彰晃)の四女の代理人を務めている[11][19][20]。滝本は、家族や教団と離れた立場にある四女に、遺体や遺骨を引き渡すように東京家庭裁判所に求めたが[21][22]、認められなかった[23]。滝本は、「アレフ」から分派した山田美沙子を代表とする集団を「三女派」と呼び、警戒している[24][25]。
2021年、「女性スペースを守る会」を結成し、事務局弁護士に就任、「防波堤役」を名乗って活動している[1][3][6]。
死刑制度について、2012年時点で「死刑制度廃止論者」とwikipediaに書かれていたことにつき、「死刑制度と滝本-ウィキの間違い」とブログを書き、たまたま死刑を求刑されるような依頼を担当していなかったこともあり元々死刑廃止に明確な意見もなかったとし、友人の坂本弁護士とも生前に死刑賛否の話題にはなったことないと述べている[26]。その後、友人の坂本弁護士がオウム真理教信者に殺害された事件をきっかけに死刑制度を容認する立場を表明した。ただしオウム真理教事件に関しては、オウム真理教トップの麻原以外の死刑囚の死刑執行には反対していた[27][17]。坂本弁護士事件の実行犯の一人である中川智正の裁判に出廷した際には「何万カルパ経っても許さないが(中川を)死刑にしたいとは思わない」と語ったが、麻原については説法の「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」から引用し、「死刑を望みます。人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。だからこそ刑罰の行使として死刑を望みます」と述べている[28]。
1995年に設立された「日本脱カルト研究会」(JDCC)の理事を歴任した[1][3]。2003年に自らのセクハラ問題で同会が活動を休止し、2004年に「日本脱カルト協会」(JSCPR)として再開した後も、理事を続けた[1][3][29]。2018年、オウム真理教教祖・麻原彰晃の長男から殺害予告を受けたと主張し、刑事告訴と記者会見を行った[1][3][30]。しかし、事実に反するとして長男から民事訴訟を起こされ、2021年8月に敗訴判決が下された[1][3][31]。これを受けて、同年9月に理事を辞任した[1][3][32]。
2021年5月にLGBT理解増進法が議論されたことをきっかけに、9月に「女性スペースを守る会」の事務局弁護士に就任した[1][6][注 2]。『月刊WiLL』『正論』といった右派論壇誌への寄稿を始め[51][52][53]、トランス女性[注 3]の権利確立を求める運動を「マインドコントロールの手法を使ったカルト的な思想運動[注 4][注 5]」だと批判している[2][7]。滝本は、性自認[注 6]の法令化によって生物学的男性がトランス女性として女性スペースに進入できるようになり、犯罪が正当化される可能性があると主張している[2][67][68]。
ほか
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