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日本の特撮監督 ウィキペディアから
1988年、映画『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』より川北紘一のもとで特撮助監督を務める[出典 2]。平成ゴジラシリーズや平成ガメラシリーズの特撮助監督を歴任した[出典 3]。
2000年、織田裕二主演の『ホワイトアウト』で特撮監督としてデビューした[出典 4]。翌年、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(以下『GMK』)でゴジラシリーズの特撮監督を初担当[6][7]。2008年、フルCG映画『バイオハザード:ディジェネレーション』で長編監督デビュー[出典 5]。
幼少期は東宝スタジオの近所に住んでおり、同スタジオに忍び込んでミニチュアセットや着ぐるみの倉庫を覗くなどしていた[3]。
川北組への参加は専門学校の先輩からの紹介によるものであったが、その先輩は「(神谷が)川北を尊敬している」と吹聴しており、そのことを知らなかった神谷は川北本人を前にこれを否定してしまい、雇われはしたもののインチキ呼ばわりされたという[3][5]。
川北組時代は、助監督本来の仕事よりも特殊効果や操演、美術、さらにはアップ用ゴジラのワイヤー操作やクレーンのウエイトなど各部門の手伝いを務めることが多く、自身でも「インチキ助監督」と称していた[8]。
映画『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)は、特撮テレビドラマ『電光超人グリッドマン』(1993年)へ参加していたために途中参加となり、クレジットも表記されていない[3]。
格闘技マニアであり、映画監督の金子修介は映画『GMK』での戦闘シーンには神谷の知識が発揮されていると評している[9]。同作品でゴジラのスーツアクターを担当した吉田瑞穂によれば、神谷は演出の際にゴジラの動きを自ら再現しながら説明しており、それが面白くこのまま神谷をゴジラとして撮影すればよいのではないかと思ったと述べている[10]。
『GMK』では同時上映のアニメ『とっとこハム太郎』目当てで観た子供が恐怖で泣き出したと聞き、子供のトラウマになるぐらい影響力があったことに嬉しくなったと述べている[7]。
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