トップQs
タイムライン
チャット
視点

織田裕二

日本の俳優、歌手 (1967-) ウィキペディアから

織田裕二
Remove ads

織田 裕二(おだ ゆうじ、1967年昭和42年〉12月13日 - )は、日本俳優歌手神奈川県出身。BAC CORPORATION所属。

概要 おだ ゆうじ 織田 裕二, 生年月日 ...
Remove ads

来歴

要約
視点

桐蔭学園小学校・中学校・高等学校卒業。中学1年から高校1年までテニス部に所属していたが膝を壊して退部。高校時代はDepsという名のバンドを組み、ギターを担当していた(その後、「Deps」というバンド名は、織田自身のファンクラブの名称になっている)。高校卒業後はピッツバーグ大学日本校へ入学するも、俳優の道へ進む。

1987年4月公開の東映映画『湘南爆走族』に、出演者オーディション数万人の参加者の中から、望んでいた石川役に抜擢されてデビュー。同時に主役デビューの江口洋介と共演。当時は二輪免許は持っておらず、映画撮影のために取得した。

1989年6月公開の東宝映画『彼女が水着にきがえたら』で主演の原田知世の相手役に起用された。

1991年、フジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』の永尾完治(カンチ)役で大ブレイク。「月9」という言葉もこの作品から生まれた。

1992年にTBS『あの日の僕をさがして』では民放連ドラで初めて主役の古賀森男役を演じたが、前作と違って作品にうまく貢献することができず、失敗作で終わり、「駄目だ。何をしたいかを一所懸命固めなきゃ駄目だ。人から役をもらうだけじゃなくて、こっちから「何をしたい」って言わなきゃ駄目だ。無いんだったら、何か無理矢理でもテーマを作るぞ。そう思った。」と語っている[4]。そのため、以降の作品では企画の段階から作品に関わるという姿勢を強めることになる[5]

1993年、フジテレビ系ドラマ『振り返れば奴がいる』で、石黒賢とダブル主演で出演。

1997年のフジテレビ系ドラマ『踊る大捜査線』は、ドラマ放送終了後のビデオレンタルなどで評判が良く、映画化されて人気を博した。また、本作で演出を担当した本広克行は織田の推薦によってチーフ演出を任されたという経緯がある。劇場版1作目の『踊る大捜査線 THE MOVIE』は興行収入101億円、観客動員数700万人を記録し、それに続く『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』も、興行収入173.5億円、観客動員数1250万人と、前作を大きく上回るばかりか実写邦画歴代1位(2022年現在)の記録を残し、自身の代表作となった。

2016年11月公開の『映画 ボクの妻と結婚してください。』で4年ぶりに映画主演を務める[6]

歌手としては1987年4月にデビュー映画『湘南爆走族』の挿入歌のシングルレコード「BOOM BOOM BOOM」でデビュー。1991年2月に発売された『スズキ・セルボ』CMソング「歌えなかったラヴ・ソング」が最高位2位、57.5万枚を記録、自身最大のヒット曲となった。その他ヒットした代表曲には、AGF「マキシムレギュラーコーヒー」・参天製薬「サンテFX」各CMソングの「現在、この瞬間から」(1991年6月、最高位3位、20.7万枚)、ドラマ『お金がない!』の主題歌「OVER THE TROUBLE」(1994年7月、最高位14位、26.4万枚)、『踊る大捜査線』の主題歌「Love Somebody」(1997年1月、最高位9位、47.8万枚)などがある。2005年日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー部門受賞「Last Christmas/Wake Me Up GO!GO!」(Yuji Oda with Butch Walker名義として)。

しかし、2008年10月15日ベストアルバム『BEST OF BEST 〜20th Anniversary〜』及びライブDVD『YUJI ODA 20th Anniversary Special Live 3920』を同時リリースして以降、目立った音楽活動は見られず、デビュー20周年を記念して立ち上げた歌手としての新プロジェクト「UZ」もシングル「君の瞳に恋してる」をリリース後、活動は見られていない。ライブ活動も同年11月に行われた「CONCERT TOUR『2008』-U-kai3- 〜君の瞳に恋してる〜」を最後に行われていない。

2年に1度開催される『世界陸上』のTBSテレビ系の中継番組のメインキャスターを、1997年の第7回世界陸上競技選手権アテネ大会から2022年の第18回世界陸上競技選手権ユージーン大会までの13大会連続、中井美穂とともに担当した。

私生活においては長らく独身だったが、2010年8月16日に12歳年下の一般人女性と結婚[2]2014年10月末に長男が誕生した[7]。誕生後2年間仕事をほぼセーブし、子育て中心の日々を過ごした。

2024年10月、『世界陸上2025』のスペシャルアンバサダーに就任[3]

Remove ads

人物

  • 25年間にわたって『世界陸上』中継番組のメインキャスターを務めた織田と中井の両名に対して、「陸上競技の認知度向上に著しく寄与した」として、『JAAFアスレティックス・アワード2022』において日本陸上競技連盟から連盟特別賞を授与された[8]
  • 2001年、主演ドラマ『ロケット・ボーイ』放送時、持病腰痛が悪化し、椎間板ヘルニアによる緊急入院で撮影を中断する事態となった。そのため『ロケット・ボーイ』は全11話の予定だったが全7話に再構成され、第2話放映後の4週分は『ロケット・ボーイ』を休止し、同作共演のユースケ・サンタマリア市川染五郎の新撮シーンと『踊る大捜査線』の再放送で穴埋めするという異例の措置が取られた。
  • 2007年4月19日放送『うたばん』では、本人に説明なく行われた体力測定で実年齢39歳にして25歳と診断されていた。
  • 2007年8月23日放送『うたばん』にて12年ぶりに的場浩司と共演した際、互いを「織田ちゃん」と「マッキー」の名で呼び合うほど当時は仲が良かったと話している。
  • スズキ・ジムニーのCMキャラクターとして起用されたことがあり、織田自身もジムニーを所有している。
  • 多趣味であり、主にゴルフやパイプ、葉巻、熱帯魚、ベラブナ釣り、野鳥観察などを挙げている。釣りに関してはかなり詳しく、バラエティ番組に出演した時に、よく釣り好きを公言している。この多趣味な部分は自身の父親からの影響だとエッセイ『脱線者』で語っている。
  • 恋愛観については、自分の足りないところを足してくれる相手が好きであり、同時に相手の足りないところを足せるような自分になれたらと語っている[9][10]
  • シッコウ!!〜犬と私と執行官〜』で共演したファーストサマーウイカをショカショカちゃんと呼ぶ[11]
Remove ads

エピソード

  • 俳優の石黒賢とは親友の間柄である。2人はドラマ『振り返れば奴がいる』『真夜中の雨』でも共演しており、当時、石黒が司会の1人を務めていたテレ朝系トークバラエティ番組『君といつまでも』に織田がゲスト出演し、他局にもかかわらず番組冒頭で『振り返れば奴がいる』のパロディまで披露している。2016年10月16日放送の『IQ246〜華麗なる事件簿〜』では、織田が主演、石黒が第1話のゲストで共演した。
  • 『踊る大捜査線』において、いかりや長介に請われてテレビドラマでの演技のノウハウを教えた。劇中の関係とは逆であるが、1999年4月13日放送のフジテレビの特別番組『踊る織田裕二』での対談で、いかりや本人が、「剣豪に倣って、あなたの芝居は何流か? と問われれば、織田流だと答える」と述べて謝意を表している。また、いかりやの自伝『だめだこりゃ』にも同様の言葉が掲載されている。織田は、いかりやが亡くなって以後も大変慕っている。
  • 一時期ダートトライアル競技に出場していた。結果などについてはほとんど公にはされていないものの、通信教育のユーキャンのCMにおいて一瞬ではあるが運転シーンが挿入されていた。また、写真集『OFF TIME〜風のない午後に…』(主婦と生活社)およびビデオ『ROAD SHOW』においてラリー・オブ・キャンベラ出場時(A5クラス2位で完走)の様子を一部見ることが出来る。
  • 好きな食べ物は寿司[12]
  • 映画『アマルフィ 女神の報酬』のイタリアロケでは、イタリア人スタッフの仕事のやり方に学ぶことが多かったので、イタリアを舞台にしたことは正解だったと語っている(『プラスアクト』インタビュー)。その反面、公開前に出演した『笑っていいとも!』では、習慣の違いや通行人がスタッフ用のコーヒーを飲んでしまうなどのハプニングを笑い話として話している。
    • 同作品では、イタリア語堪能な外交官という役どころのため、イタリア語台詞の特訓をしたと語っている[13]。しかし、イタリア人俳優のアドリブ芝居では言葉が理解できず、最終的に台本の台詞の「この単語だけは抜かさないでくれ」と頼み込んで撮影を乗り切った[14]

受賞歴

俳優

1988年

1989年

1991年

  • ギャラクシー薦賞(『新説三億円事件』)
  • ATP賞91(『新説三億円事件』)

1992年

1993年

  • ATP賞93 ザ・テレビジョン読者賞
  • テレビガイド TVドラマ大賞 主演男優賞

1994年

1996年

1997年

1999年

(『踊る大捜査線 THE MOVIE』)[19][20]

  • わかやま市民映画祭 最優秀主演男優賞(『踊る大捜査線 THE MOVIE』)
  • 第13回ビデオ&DVDでーた大賞 ベストタレント賞(男優部門)

2000年

2001年

2003年

2004年

  • 第27回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』)[22]
  • 第23回藤本賞(『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』 に製作側からも多大な貢献をしたことによる。俳優としては高倉健(第14回特別賞)に続き二人目の受賞)

その他

1991年

1992年

1999年

  • ベストドレッサー賞

2005年

2012年

Remove ads

出演

要約
視点

テレビドラマ

映画

ネットドラマ

吹き替え

テレビ番組

ドキュメンタリー

スポーツ番組

  • 世界陸上(TBS、1997年 - 2022年、TBS) - メインキャスター

ラジオ

  • 風に乾杯(1991年10月 - 1992年9月)ラジオの初レギュラー番組。最終回「屋形船から生中継」は野球中継のため放送されずに番組終了となった。
  • 織田裕二 風と歩こう(TOKYO FM
  • 織田裕二 RADIO DEPS(FM横浜)

CM

コンサート

さらに見る 年, タイトル ...
Remove ads

作品

要約
視点

ディスコグラフィー

シングル

さらに見る #, 発売日 ...

アルバム

オリジナル・アルバム
さらに見る #, 発売日 ...
ベスト・アルバム
さらに見る #, 発売日 ...

ビデオ・DVD

さらに見る #, 発売日 ...

なお、『Birth - Music Documentary - 』から『'94 Concert Tour BREAK OUT』(いずれも東芝EMI)までの作品は未だにDVD化されていない。これらの作品の発売元が異なる(DVD化されているのはユニバーサル・シグマ|(旧 KittyMME=合併前名称・マーキュリー・ミュージック・エンターテインメント)以降の作品)ため。

書籍

写真集・読本

  • BEST GUY IN 織田裕二(1990年12月15日、株式会社ハゴロモ)
  • パーソナルブック「織田裕二」(1991年2月3日、主婦と生活社
  • GO AHEAD(1992年2月8日、主婦の友社
  • OFF TIME〜風のない午後に…(1994年10月31日、主婦と生活社)
  • ドキュメンタリーフォトブック「ドキュメント 織田裕二」(2000年8月20日、ぴあ株式会社)
  • 織田裕二 in T.R.Y(2002年12月13日、角川書店
  • 踊る大捜査線THE MOVIE2 青島刑事完全読本コンプリートブック(2003年7月1日、ぴあ株式会社)
    • 踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ! PERFECT BOOK〈完全読本〉(2010年6月21日、ぴあ株式会社)
  • COLOR(2003年12月12日、ぴあ株式会社)
  • 外交官 黒田康作の秘密(2011年3月5日、株式会社扶桑社

著作

Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads