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『論衡』(ろんこう、繁体字: 論衡; 簡体字: 论衡; 拼音: Lùnhéng; ウェード式: Lun heng)は、中国後漢時代の王充(27年 - 1世紀末頃)が著した全30巻85篇(うち1篇は篇名のみで散佚)から成る思想書、評論書。実証主義の立場から王充は自然主義論、天論、人間論、歴史観など多岐多様な事柄を説き、一方で非合理的な先哲、陰陽五行思想、災異説を迷信論として徹底的に批判した。
長い歳月の間に記されたものと考えられ、そのため書中では一貫性が欠けている面もみられるが、虚妄的な儒学の尚古思想を一蹴し、合理的に物事を究めようとする立場は当時の思想としては大胆かつ革新的なことであった。反尚古思想であるゆえに、漢王室を絶対視している。また、作品中には王充自身の文章に対する意見も含まれており、誇張を嫌い、真実をそのまま記すことのできる文章を望んでいた。編述を終えた時点では100篇を超える構成であったというが、『後漢書』に挙げられた時点で85篇とされており[1]、さらに巻15の「招致篇」44は散逸して篇名を伝えるだけとなっている。
王充の死後に本書が世に出たのは2世紀末であり、蔡邕が呉郡で入手して人と語らう際の虎の巻としたことや、会稽太守となった王朗が同地で一本を発見したことによるという[2]。
一個人による百科全書的著作であり唐代までは大著として評価されてきたが、その記述姿勢が孔子・孟子に批判的であるという点から、宋代以降は無法の書として省みられなくなった。そのため、本文校訂も十分には進んでおらず、ようやく清末になって部分的注釈がなされ、中華民国時代になって詳細な注釈が完備した。1970年代の中華人民共和国での批林批孔運動の際には孔子を批判していた先駆的な思想書として評価されたという。
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