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学校、会社、地域団体などの参加者および運営による体育的な活動行事 ウィキペディアから
運動会(うんどうかい、英:Sports day)は、学校、会社(企業)、地域団体(地域社会)(児童生徒)などの参加者および運営による協力により規定プログラムに従って遂行される体育的な活動行事[1]。体育祭(たいいくさい)や体育大会(たいいくたいかい)などと称することもある。
イギリスやドイツの職工体育的行事に起源を有するが、日本における運動会の発足は「国威」「富国強兵」「健康増進」を目的として明治末期から社会的に広く普及[2]したものであることから「近代日本独特の体育行事」[3]であるとされる[4](歴史の節も参照)。
日本の小学校・中学校・高等学校、および特別支援学校では、学習指導要領における「特別活動」にあたり、学校行事としての「健康安全・体育的行事」に位置づけられ、学校が年間指導計画の中で実施日やその内容を策定する。その目的は、連帯感・協力・調和・団結力などを養う点にあるとされる[5]。学習指導要領においては、児童生徒の自主的・自発的な活動が助長されるように指導を行うこととされている。「特別活動」は授業時数内で行われるため、児童生徒が参加しない場合は欠席となる。なお学校によっては、この体育祭・運動会に代えて球技大会やクラスマッチを開催する例もある。
高校の場合は学校の運動場ではなく[注 1]、地元の陸上競技場や体育館等の施設で行う場合もある。
東北地方では運動会当日の朝に狼煙(花火)を鳴らして決行を知らせる風習がある[6]。
専修学校においては、体育系の学科やクラブなどが置かれない限り運動施設を設けないことが多く[注 3]、運動会を開催する場合は地元の体育施設などを借りる場合が多い。ただし行事としての開催義務はないため[注 4]、学校によっては運動会自体が開催されないこともある。
職場(会社など)や地域(市区町村)などで行われることもあるが、近年は開催を取り止めたり、あるいはその規模を縮小する流れも見られる。それは職場での運動会については企業の経営状況が良好でないこと、地域での運動会については過疎やつながりの希薄化などの影響で中止される場合もある。また、「運動競技に伴う災害の業務上外の認定について」(平12.5.8 基発366号)に運動競技会に関する解釈例規がある。
運動会の起源はヨーロッパにあるとされるが、欧米では体育およびスポーツの文化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子供による伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っている[3]。そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれる[3]。日本に見られる行事形式の体育的催しは日本の他に台湾、朝鮮半島など日本統治時代から盛んになり存続している。しかし、韓国においては近年、いわゆる「日帝残滓」として、運動会を廃止する動きがある。駆け足での集合や隊列を組んだ行進、点呼や声の同期、バンカラ風の応援、軍歌「歩兵の本領」の替え歌による応援など戦時下当時の名残が定着している。
海外で[16]の運動会の始まりは、19世紀の中頃でオックスフォード大学にて行われたものとされる。
運動会が日本で行われだしたのは明治時代である。当初、運動会は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていた[17]。
日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、東京海軍兵学寮(後の海軍兵学校)で行われた競闘遊戯会であるとされる[18][17](イギリス人英語教師フレデリック・ウィリアム・ストレンジの指導によって行われたとされ、ストレンジは後に異動先の東京大学予備門でも運動会を開催している[要出典])。ただし、1868年に幕府の横須賀製鉄所において技術者・職工らによって行われたものが最初であるとする説もある[19]。
1878年5月25日には札幌農学校で「力芸会」が開催された[20][17]。その後、僅か数年で北海道内の小中学校に広がったといわれる。また、1882年には明治法律学校[21]、1883年には東京大学[17]や東京専門学校[22]でも運動会が開催されるようになった。
その後、初代文部大臣・森有礼が体育の集団訓練を薦めるため学校で運動会を行うようになった。
日本統治を経験した韓国、北朝鮮、台湾や中国東北部の学校にも日本時代の名残で運動会が存在している。
第二次世界大戦中は運動会の種目においても戦時色が強まり、騎馬戦・野試合・分列行進などが行われたが、戦争末期には食糧難から運動場が農地化するなどして実施が不可能となった例も多いとされる[23]。
本来、当該行事は常日頃から学習指導要領に沿った体育授業で習得した成果を発表する行事であるが、一部プログラムは学習指導要領に含まれない遊戯や演舞など学校の独自色や実状に合わせた演目が各自治体の裁量によって認められている。
一部演目の性質上、落下や衝撃および激突が原因による児童生徒の死亡、半身不随、難聴、視力低下、運動障害などの事故発生が判明。訴訟リスクや安全面などの理由から一部演目の実施を控えたり、行事の時間を大幅に短縮するなどの対策を行っている自治体もある。日本では国家賠償法に基づき、教員が国又は地方公共団体の公務員で、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に児童や生徒に損害を加えたときは、国又は公共団体が損害賠償責任を負う(国家賠償法第1条第1項)[24]
猛暑日における課外活動を含む運動会の練習や実施、炎天下での屋外活動が原因による生徒の熱中症集団発症の事例が毎年、少なからず発生している。
交通事故における人身事故と違い、負傷者を極力移動させず事故現場から直接緊急要請を行うことはほぼ無く、一旦保健室などで応急処置を行ってから教員が保護者へ連絡を入れた後に病院へ搬送するという手順がとられる[25]。
2005年の国連「体育・スポーツ国際年」ののち、NGOがカンボジアの体育・スポーツ政策の支援に動き出した[26]。2011年、カンボジア教育省所属の行政官が、岡山での体育の研修で運動会を初めて視察し、カンボジアで運動会を取り入れるきっかけとなった[26]。行政官の意向はカンボジアでスポーツ支援をしていた特定非営利法人(NPO)ハート・オブ・ゴールドに伝えられ、2013年にカンボジア教育省、ハート・オブ・ゴールド(HG)、岡山県、岡山大学が連携してシュムリアップ州のワットチョーク小学校で教育省主導の運動会を初めて開催した[26]。
カンボジア教育省所属の行政官が中心となった運動会は、2014年にスヴァイリエン州の2校、2015年にバッタンバン州の4校、2016年にバッタンバン州の2校で特定非営利法人ハート・オブ・ゴールドとの協働で実施された[26]。また、2015年にはカンポット州の1校とタケオ州の1校で教育省が独自に主導して運動会を開催した[26]。これらの学校には学校独自の運動会の開催を継続しているところもある[26]。
タイの運動会は保健・体育科における一つの行事として位置づけられている[27]。日本の運動会の目的とは異なり、タイの運動会の目的は、生徒が興味を持ったスポーツや得意であるスポーツに自主的に参加させることや、体育科の時間で習ったスキルの発揮が重視されている[27]。
また、実施種目と組分けの方法も日本の運動会とは異なり、クラス全体で参加するような種目がなく、スポーツ種目はスポーツが得意な生徒が自主的に参加するものとなっている[27]。スポーツ種目に参加した生徒個人に対して金・銀・銅などのメダルを授与することもタイの運動会の特徴とされている[27]。
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