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陶製の貨幣 ウィキペディアから
日本は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に陶貨を製造したものの、発行されることがなかったため、試鋳貨幣にとどまった[1]。
日中戦争の影響により軍需資材としての金属需要が増加したことから1938年(昭和13年)6月1日に臨時通貨法が制定され、貨幣法で規定された貨幣以外の臨時補助貨幣を制定・改廃することができるようになったほか、素材・品位・量目・形式は勅令をもって定めることとされた。これにより、政府は帝国議会による貨幣法の改正を経ることなく、政府の裁量によって通貨の発行を決めることができるようになった[2][3][† 1]。
臨時通貨法に基づき、軍需利用される金属の貨幣は回収され、代用の貨幣として黄銅貨幣、アルミニウム青銅貨幣、アルミニウム貨幣、錫貨幣などが製造・発行されたが、戦局の悪化に伴っていずれの金属も不足し始め、1944年(昭和19年)12月に陶貨幣の製造が計画された[5]。第一次世界大戦期のドイツで製造されたものをモデルとして企画したが、陶製貨幣の製造は造幣局では不可能だった[6]。そのため、1945年(昭和20年)4月には陶貨の製造地として京都市、愛知県瀬戸市、佐賀県有田町を選定し、各地の民間事業者が試作品を製造した[7]。同年7月には工業化に成功して1500万枚を製造したが、発行するには十分な量と言えないことから発行が見合わせられ、そのまま終戦を迎えたため、発行まで至ることなく破砕・廃棄された[8][9][10]。
試鋳年[1] | 製造地[1] | 製造会社[1] | 品位[1] | 直径[1] | 製造計画枚数[7] | 図柄 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
10銭陶貨 | 1945年 (昭和20年) |
京都府京都市 | 松風工業株式会社 | 長石10〜15% 砥の粉85〜90% |
21.9mm | 5億枚 | 表: 菊紋と稲穂に「十銭」 裏: 桐紋に「大日本 昭和二十年」 |
5銭陶貨 | 1945年 (昭和20年) |
愛知県瀬戸市 | 瀬戸輸出陶器株式会社 | 大学粘土90% 褐鉄鉱10% |
18mm | 5億枚 | 表: 菊紋と桜花に「五銭」 裏: 橘紋に「大日本 昭和二十年」 |
1銭陶貨 | 1945年 (昭和20年) |
佐賀県有田町 京都市 瀬戸市 |
協和新興陶器有限会社ほか | 三間坂粘土60% 泉山石15% 赤目粘土15% その他10% |
15mm | 7億枚 | 表: 富士山に「壹」 裏: 桜花に「大日本」[† 2] |
以下、展示がされている、またはされていたことが確認できる場所を示す。
また、愛知県で2005年(平成17年)に行われた愛・地球博に関連する事業であるEXPOエコマネー事業においては、EXPOエコマネーポイントの交換品としてリサイクル陶磁器を利用した陶貨の復刻品を受け取ることができたが、ポイント発行は2017年(平成29年)3月31日、交換は同年9月24日に終了している[14]。
文学座『一銭陶貨〜七億分の一の奇跡〜』[15]
文学座による舞台。瀬戸において陶芸を営む家族が1銭陶貨の製造を依頼されるという、陶貨を題材にしたストーリーである。
作家の佃典彦は、NHK名古屋放送局からドラマのシナリオ企画依頼があった際、担当ディレクターから題材として1銭陶貨の話を聞き感銘を受けたが、この企画が編成上の都合によりお蔵入りとなったため、文学座からのオファーに際しこの題材をプロットとして書き上げたと述べている[16]。
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