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飯島 一暢(いいじま かずのぶ、1947年(昭和22年)1月4日 - )は、日本の実業家。サンケイビル代表取締役社長兼社長執行役員。サテライト・サービス初代代表取締役社長。
東京都出身[1][2]。1969年(昭和44年)早稲田大学教育学部卒[1]。
三菱商事入社後、鉄鋼畑を歩む。1980年代後半、財閥系商社はグループを挙げて衛星ビジネスに取り組んでいたが、先行した伊藤忠・三井物産が組んだ日本通信衛星(JSAT)は、早々にジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)や日本テレビネットワーク協議会(NNS)など民放系列に食い込んでいた[3]。他方、三菱グループはフジテレビと手を組むことになり、三菱側でこのプロジェクトを担当していたのが、宇宙通信(三菱商事、三菱重工、三菱電機などが出資)営業部長の飯島だった[4]。飯島はコーナスというアメリカの先進的なSNG専門のテレビニュース専門会社にフジの技術陣を誘い、SNGの現場を見せた。通信衛星を使った中継が手軽にできることを目の当たりにした技術スタッフは、「これからはSNGだ」と確信し、フジテレビと飯島は三菱グループの各社の技術を結集して同一仕様の車載局(車に積んでいる衛星通信の無線局)を作った[3]。1台当たり2億円弱だったが、26台、基本的に同じものを作った[3]。
使用する三菱系衛星SUPERBIRDAは、1989年(平成元年)6月に打ち上げられ、フジは全系列局にこの車載局を配備し、SNGのためのフジネットワーク専用の衛星通信システムである「フジサテライト(FSAT)」は[5]、1990年(平成2年)7月から運用が開始された[6]。
FSAT構築を完成させた後、1997年(平成9年)に飯島はフジテレビジョンに転社[3]。2005年のライブドアによる敵対的買収事件が発生した際には、企画調整局長としてライブドアとの折衝にあたった。
2012年(平成24年)6月、 フジ・メディア・ホールディングス傘下のサンケイビル社長に就任し、2015年4月、サンケイビルはグランビスタ ホテル&リゾート(旧:三井観光開発)を完全子会社とした[7]。
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