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ジム・パーマー

アメリカ合衆国のプロ野球選手 (1945-) ウィキペディアから

ジム・パーマー
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ジェームズ・アルビン・パーマーJames Alvin Palmer, 1945年10月15日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の元プロ野球選手投手)。愛称は「Cakes」。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

現役時代

1963年8月16日にボルチモア・オリオールズと契約。1964年はA級で11勝3敗、防御率2.51を記録するが、129イニングで130四球も与えていた。ちなみにこのファームチームでプレーした時の監督がカル・リプケン・シニアで、その時に後に選手生活の晩年でチームメイトになる幼少時のカル・ジュニアと交友があったという。1965年に19歳で開幕メジャー入りを果たし、4月17日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。主にリリーフでの起用で5勝を記録。

1966年は開幕から先発に定着し、15勝10敗、防御率3.46を記録してチームのボルチモア移転後初のリーグ優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第2戦に先発してこの試合が現役最後の登板となったサンディ・コーファックスと投げ合い、4安打完封勝利。勢いに乗ったチームは続く第3戦・第4戦を共に1-0で勝利し、4連勝で球団史上初のワールドチャンピオンに輝いた。

1967年は5月12日のニューヨーク・ヤンキース戦でホワイティー・フォードと投げ合い、6回までパーフェクトに抑える。7回無死から安打を許すが次打者を併設に打ち取り、1安打無四死球・残塁0の「準完全試合」を記録[1]。しかしその後は肩の故障に苦しんで9試合の登板に留まり、1968年はメジャーでの登板なしに終わる。

4球団が拡張され東西2地区制となった1969年は回復して復帰。途中1ヶ月以上の離脱もあったが、8月13日のオークランド・アスレチックス戦で6四球を与えながらノーヒットノーランを達成するなど11連勝を記録し、16勝4敗、防御率2.34、6完封と復活を果たす。チームは2位に19ゲームの大差を付けて地区優勝。ミネソタ・ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、10安打を浴びるものの2失点完投勝利を挙げ、チームを3年ぶりのリーグ優勝に導く。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは第3戦に先発したが6回4失点で敗戦投手となり、チームも1勝4敗で敗退した。

1970年は前半戦で12勝を記録し、オールスターに初選出され先発投手を務めた。20勝10敗、防御率2.71、共にリーグトップの305.0イニング・5完封を記録し、チームは地区連覇。ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、12奪三振1失点完投勝利で2年連続の胴上げ投手となる。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第1戦に先発して勝利投手となり、チームは4勝1敗で4年ぶりのワールドチャンピオンとなった。サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。1971年は開幕から5連勝するなど20勝9敗、防御率2.68を記録し、チームメイトのデーブ・マクナリー(21勝)、マイク・クェイヤーパット・ドブソン(各20勝)と共に1920年シカゴ・ホワイトソックス以来となる「20勝カルテット」を形成し、チームは地区3連覇。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発してレジー・ジャクソンに2本塁打を浴びるが、3失点完投勝利で3年連続の胴上げ投手。ピッツバーグ・パイレーツとのワールドシリーズでは第2戦に先発し勝利投手となるが、第6戦では9回2失点の好投も勝敗付かず。チームは3勝4敗で敗退した。

1972年は前半戦で8連勝を含む13勝、防御率1.91を記録し、オールスターでは2度目の先発投手を務めた。21勝10敗、防御率2.07を記録するが、チームは地区3位に終わった。1973年は7月27日のクリーブランド・インディアンス戦で7回まで無安打に抑え、8回に安打を打たれるが1安打完封勝利[2]。10連勝を含む22勝9敗、防御率2.40の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームの2年ぶりの地区優勝に貢献。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、5安打12奪三振完封勝利。第4戦では2回途中で降板。第5戦では4回途中からリリーフ登板し無失点に抑えるが、チームは完封負けで敗退した。サイ・ヤング賞の投票では、383奪三振のメジャー記録を樹立したノーラン・ライアンを抑えて初受賞し、MVPの投票でもジャクソンに次ぐ2位に入った[3]

1974年は初の開幕投手を務めるが、途中7連敗を喫するなど不調。6月から約2ヶ月離脱もあり7勝12敗と不本意な成績に終わるが、チームは地区連覇。3度目の対戦となったアスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し1失点完投と好投するが、打線がヴァイダ・ブルーに2安打で完封されて敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。1975年は復活を果たし、いずれもリーグトップの23勝(11敗)、防御率2.09、10完封を記録し、キャットフィッシュ・ハンターと並んで初の最多勝利、2年ぶりの最優秀防御率を獲得。2年ぶりのサイ・ヤング賞を受賞した。1976年は22勝13敗、防御率2.51、リーグ最多の315.0イニングの成績で2年連続の最多勝利・サイ・ヤング賞、初のゴールドグラブ賞を獲得。1977年オールスターゲームで3度目の先発投手を務める。20勝11敗、防御率2.91、リーグ最多の22完投・319.0イニングの成績で、デニス・レナードら2人と並んで3年連続の最多勝利。

1978年は5月20日から4完封を含む7連勝。オールスターでは2年連続4度目の先発投手を務めた。終盤にも7連勝を記録し21勝12敗、防御率2.46で4年連続20勝を達成。1979年は故障もあって10勝に終わるが、チームは5年ぶりの地区優勝を果たす。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、9回3失点で勝敗は付かなかったが、チームは8年ぶりのリーグ優勝。パイレーツとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、7回2失点で勝敗付かず。第6戦では6回まで無失点だったが終盤打ち込まれ、8回4失点で敗戦投手。チームは王手をかけてから3連敗を喫し、2勝4敗で敗退した。

1980年は後半戦で防御率4.90と調子を落とし、16勝を記録するが防御率3.98とそれまでのキャリアワーストとなった。1981年50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮され、後半戦で防御率4.74とまたも不調で7勝に留まる。1982年は序盤は不調だったが、6月7日から11連勝を記録。チームはミルウォーキー・ブルワーズと地区優勝を争い、10月1日からの直接対決4連戦で3連勝し同率で並ぶ。勝てば逆転優勝となるシーズン最終戦で先発するが敗戦投手となり、地区優勝を逃した。それでも15勝5敗、防御率3.13と復活を果たした。サイ・ヤング賞の投票でピート・ブコビッチに次ぐ2位に入った。1983年は故障で長期離脱し、15年ぶりのマイナーも経験するなど5勝に終わるが、チームは4年ぶりの地区優勝。ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは代走による出場のみで登板機会はなかったが、チームはリーグ優勝。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは第3戦で5回から先発のマイク・フラナガンをリリーフし2回を無失点に抑えて勝利投手となる。

この勝利で1960・70・80年代の3ディケイドでワールドシリーズでの勝利を挙げた史上唯一の投手となった。チームは4勝1敗で13年ぶりの、現在まで最後のワールドチャンピオンに輝いた。1984年は結果を残せず3連敗を喫し、5月17日に戦力外通告となり、現役引退を表明した。オリオールズ一筋で投げ続けたフランチャイズ・プレイヤーだった。

投手としての主な球種はスローカーブ、スライダー(米書「guide to pitchers」)より

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パーマーの背番号「22」。
ボルチモア・オリオールズの永久欠番1985年指定。

引退の翌1985年9月1日にパーマーの功績を称えられ、パーマーの背番号22』はオリオールズの永久欠番に指定された。

1990年アメリカ野球殿堂入り。

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2009年

1991年45歳にして復帰を目指し、古巣オリオールズのスプリングトレーニングに招待選手として参加。オープン戦にも登板したが衰えもやはりあり、復帰は実現しなかった[4]。現在はABCなどテレビ局のMLB中継解説を主に活動している。

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人物・逸話

  • 愛称の「Cakes」は、登板日の朝食に必ずパンケーキを食すことから言われた。
  • 現役時代の監督アール・ウィーバーとの確執は有名で、ウィーバーをして「パーマーのおかげでこんな白髪になってしまった」と言わしめる程だった。
  • 前述にもある通り、選手生活の晩年にチームメイトとなったカル・リプケン・ジュニアとは長い親交がある。新人時代にリプケンの父カル・シニアが監督を務めていたA級マイナーチームでプレーしていたが、その時に幼少時のリプケンを見ていたことがある。この縁で高校生時代のリプケンを相手にスプリングトレーニングでパーマーが投げ、リプケンが打ったこともある。
  • ハンサムな顔つきから、下着メーカーのコマーシャルに出演していたことがあった[5]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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タイトル

表彰

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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