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いずもまがたまの里 伝承館
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いずもまがたまの里 伝承館(いずもまがたまのさと でんしょうかん)は、島根県松江市玉湯町の勾玉やめのう等の製作・販売を行う施設。株式会社めのやが運営[1]。2022年1月31日をもって閉店した[1]。
概要
出雲の地は、神話や古代遺跡が数多く残されていた。玉造は古代より、勾玉や玉類の国内有数の生産地だった。その伝統ある「出雲型勾玉」の製作技術を継承するために、勾玉の歴史がわかるミュージアムを、勾玉を製作する細工職人の技術の継承を行うために、間近で「見て」「触れて」「体験できる」施設が建設された。
「古事記」には、玉造の勾玉が天照大神に献上され、皇位継承の印である三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」になったと記されている[2]。
出雲めのう
1500万年前、花仙山から噴出した溶岩が冷え固まり安山岩となり、地下の熱水の温泉成分が化学反応を起こし「めのう」ができた。特に青緑色の碧玉が、良質、豊富で「出雲石」と呼ばれた。古代、玉は装飾品ではなく、お守りや厄除の意味があり、青は自然や生命を表す色とされ、出雲製の玉は尊いものとされた。玉造りは、平安中期に途絶えたが、江戸時代末期、同じ「めのう」産地の若狭国(現福井県小浜市)で学んだ職人が加工技術を持帰り、櫛や簪(かんざし)などの装飾品を作り復活させた。
明治・大正期には、出雲地方の主要産業となったが、昭和初期には過当競争から廃業が相次ぎ、現在、技術を継承するはわずか一軒である。しかし近年のパワースポットブームで、玉作りの文化は脚光を浴びている。50年ぶりに花仙山[3]で「めのう」原石の採掘が行われた[4]。
閉館へ
出雲大社の本殿遷座祭があった2013年には20万人を超える来館者があったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2021年には来館者は約1万人となり、2022年1月31日に閉館することになった[1]。施設内の本社機能は残され、販売は玉造温泉街にある「めのうやしんぐう」など各店舗に引き継がれる[1]。
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沿革
- 1901年(明治34年) - 創業者新宮福次郎が玉造温泉に、「しんぐう めのう店」を創設
- 1913年(大正2年) - 大正天皇の大典に際し、献上の勾玉を製作
- 1927年(昭和2年) - 昭和天皇の大典に際し、献上の勾玉を製作
- 1947年(昭和22年) - 山陰行幸に際し、献上品の製作及び天覧
- 1948年(昭和23年) - 出雲大社宮司千家尊祀の新任に、宮中に献上の美保岐玉を製作
- 1961年(昭和36年) - 3代目社長に新宮福司郎が就任
- 1965年(昭和40年) - 島根県行幸に際し、献上品の製作及び天覧
- 1977年(昭和52年) - 出雲玉作資料館が展示物を納入
- 1982年(昭和57年)
- 1985年(昭和60年) - 「いずもめのう細工伝承館」を開館
- 1988年(昭和63年) - 4代目社長に新宮正朗が就任
- 1990年(平成2年) - 天皇明仁の大典に際し、献上の勾玉を製作
- 1991年(平成3年) - 「有限会社 めのや」設立
- 2002年(平成14年) - 出雲大社宮司千家尊祐の出雲国造新任に際し、美保岐玉を製作
- 2008年(平成20年) - 本社を松江市玉湯町から松江市嫁島町に移転
- 2012年(平成24年) - 5代目社長に新宮寛人が就任
- 2015年(平成27年) - 「株式会社めのや」が「株式会社しんぐう」を吸収合併[5]
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施設情報
利用情報
- 休館日 - なし(年中無休)
- 開館時間 - 午前8時〜午後5時30分
- 駐車場 - 自動車40台、バス14台、駐車料金は無料
交通アクセス
ギャラリー
- 勾玉ミュージアム(2015年9月11日撮影)
- 勾玉製作工房の様子(2015年9月11日撮影)
- 勾玉の製作工程の見本(2015年9月11日撮影)
- ショッピングゾーン(2015年9月11日撮影)
- 日本一の勾玉(2015年9月11日撮影)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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