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かの里
名古屋市中川区の地名 ウィキペディアから
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かの里(かのさと)は、愛知県名古屋市中川区にある町名。旧来「包里」と書かれた。現行行政地名はかの里一丁目からかの里三丁目と富田町大字包里。住居表示未実施[WEB 5]。富田町大字包里には、7つの小字が設置されている。
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地理
名古屋市中川区の南西部に位置し、東に東かの里町、西に富田町大字供米田、北に供米田、南に港区南陽町大字福田に接する。
河川
歴史
町名の由来

江戸期の海東郡包里村を前身とする。 由来については、「兼里」が転じたという説、律令制下の海部郡津積郷の「つつみ」に「包」の字を宛てて「かね」と読み替えたとする説、人名に由来するという説、「川根里」が転じたという説など諸説ある[1]。
地名は鎌倉期には既に確認でき、14世紀前半成立の尾張国海東郡富田荘の絵図に「包里」の記載がある。戦国期の『信雄分限帳』には「かの里 中川三十郎」とある。
行政区画の変遷
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併により、海東郡包里村が同郡豊治村大字包里となる[2]。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 合併により、海東郡富田村大字包里となる[2]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 町制施行により、海部郡富田町大字包里となる[2]。
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 合併により、名古屋市中川区富田町大字包里となる[2]。
- 1988年(昭和63年)2月28日 - 一部が中川区かの里一丁目・かの里二丁目・かの里三丁目・東かの里町にそれぞれ編入される[2]。また、中川区かの里一丁目は富田町大字供米田・富田町大字包里、かの里二丁目は富田町大字包里・富田町大字江松、かの里三丁目は富田町大字包里の各一部によりそれぞれ成立[2]。
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世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
かの里
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 2,831人 | ||
2000年(平成12年)[WEB 7] | 3,230人 | ||
2005年(平成17年)[WEB 8] | 3,116人 | ||
2010年(平成22年)[WEB 9] | 3,211人 | ||
2015年(平成27年)[WEB 10] | 2,759人 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 843世帯 | ||
2000年(平成12年)[WEB 7] | 999世帯 | ||
2005年(平成17年)[WEB 8] | 1,031世帯 | ||
2010年(平成22年)[WEB 9] | 1,101世帯 | ||
2015年(平成27年)[WEB 10] | 1,111世帯 |
富田町大字包里
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 70人 | ||
2000年(平成12年)[WEB 7] | 59人 | ||
2005年(平成17年)[WEB 8] | 55人 | ||
2010年(平成22年)[WEB 9] | 62人 | ||
2015年(平成27年)[WEB 10] | 54人 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 22世帯 | ||
2000年(平成12年)[WEB 7] | 20世帯 | ||
2005年(平成17年)[WEB 8] | 20世帯 | ||
2010年(平成22年)[WEB 9] | 24世帯 | ||
2015年(平成27年)[WEB 10] | 24世帯 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。
交通
施設
かの里一丁目
- 名古屋市立豊治小学校
- 富田病院
- 水落公園
- 1986年(昭和61年)4月1日供用開始[WEB 13]。
- 近内公園
- 1987年(昭和62年)4月1日供用開始[WEB 13]。
- 神明社
- 神明社
- 照見寺
- 豊治小学校
かの里二丁目
- 乗江公園
- 1986年(昭和61年)11月1日供用開始[WEB 13]。
- 四畝公園
- 1989年(平成元年)4月1日供用開始[WEB 13]。
かの里三丁目
その他
日本郵便
- 集配担当する郵便局は以下の通りである[WEB 14]。
脚注
関連項目
外部リンク
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