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はしのえみ

日本のタレント、司会者、女優、モデル ウィキペディアから

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はしの えみ1973年10月23日[1] - )は、日本のタレント司会者女優モデル。旧姓及び旧芸名:橋野 恵美[1](現芸名と読み同じ)、本名:綱島 恵美(つなしま えみ)[2]鹿児島県鹿児島市出身。東京都立新宿山吹高等学校卒業。所属事務所は佐藤企画。愛称は「えみちゃん」「はしえみ」「」。夫は俳優の綱島郷太郎

概要 はしの えみ, 本名 ...
概要 プロフィール, 愛称 ...
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来歴・人物

鹿児島県立松陽高等学校1年修了後、単身上京した[3]萩本欽一プロデュースの演劇集団「欽ちゃん劇団」1期生で、在籍時から芝居、CHA-CHAのバックダンサー、音楽ユニット「CHU-CHU」や「ブカブカ[1]などで活動する。

一時期休業後、1996年7月に22歳で『王様のブランチ』(TBSテレビ)で「ブランチリポーター」を務める[4]。1998年4月に芸名をひらがな表記に改名する。

1998年に王様のブランチの女性レポーターによる8人組ユニット「BRAN-KO」を結成してCDデビューする[5][4]。ロケではさまざまなキャラクターに扮しており、24歳のときに誕生した"姫様"のキャラクターは番組の一コーナーとなり15年以上続いた[4]。2014年3月29日放送に番組から降板した[4]

松浦亜弥のモノマネが得意で、「あややがいてくれて良かった」と語る。2003年12月に『ザ・ベストテン2003』で松浦と共演した。

2004年放送のNHK大河ドラマ新選組!』で時代劇に出演する。2005年7月18日放送分から中京テレビ制作のクイズ番組『サルヂエ』で、病気で降板した岡田眞澄演じる「サルさん」の期間限定代理「サルちゃん」として司会する。10月19日放送分から同番組がゴールデンタイムへ進出(日本テレビ・中京テレビ共同制作)して以降、2007年1月の番組終了まで司会した。

2006年10月2日から11月24日まで放送された帯ドラマみこん六姉妹』(CBC制作・TBS系)でテレビドラマに初主演する。

2008年4月12日からNHK『週刊こどもニュース』の6代目お母さん役を務め、初めてNHKでレギュラー番組を担当した。

『みこん六姉妹』での共演をきっかけに俳優の綱島郷太郎と交際を始め、2009年1月1日に入籍したことを1月7日に発表した[6]。10月20日にはしのの地元の鹿児島市で結婚式を挙げた[7][8]

2015年5月16日に第1子妊娠を公表し[9]、10月16日に第1子女児を予定外の帝王切開で出産[10][11]、10月21日に退院した[12]

2025年3月29日、『王様のブランチ』に11年ぶりに出演した[13]

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エピソード

  • 10歳の時に鹿児島テレビ (KTS) の視聴者参加のど自慢番組に出場し、松田聖子の『Rock'n Rouge』を歌唱した。
  • 酒好きでチューハイを好み、「仕事終わりに500ml缶を飲み干すのが至福の時」と語る。酒豪ではなく大量に飲めるわけではない。
  • スケジュールに空きが生じると1年に何回も鹿児島へ帰省するほど郷土愛が強く、仕事でも出演番組で郷里紹介に力を入れている。『秘密のケンミンSHOW』2012年5月24日放送[14][15]で、番組内ドラマで鹿児島弁(薩隅方言)を披露した[16]
  • 2007年2月5日に自営業の実父が他界したが当日は舞台「仇討物語 でんでん虫」に出演中で、終演後に帰省したが臨終に立ち会えなかった。
  • トリビアの泉』2002年11月4日放送回で、「ノッポさんはしゃべったことがある」が過去最高の「99へえ」となった。審査員5人中4人が「満 (=20) へえ」で、はしのは「もう少し情報が知りたかったから」「19へえ」として、初の「100へえ」とならなかった。
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出演

テレビバラエティ

テレビドラマ

携帯ドラマ

映画

  • 電影少女 -VIDEO GIRL AI-(1991年、東宝(週刊少年ジャンプ連載作品・実写映画化)) - 絵里 役(※橋野恵美 名義)
  • 恐竜を掘ろう (2013年公開)

吹き替え

ラジオ

舞台

CM

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脚注

関連項目

外部リンク

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