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アドリアーノ・コレイア・クラロ
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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アドリアーノ・コレイア・クラロ(Adriano Correia Claro, 1984年10月26日 - )は、ブラジル・パラナ州クリチバ出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
コリチーバFC時代は左サイドバックとしてプレーし、そのポジションがもっともプレーしやすいと発言しているが、異なる5つのポジションでプレーすることができる[1]。
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経歴
パラナ州クリチバに生まれ、18歳の時に地元のコリチーバFCからデビューした。
セビージャ
2005年1月、4年半の契約でリーガ・エスパニョーラのセビージャFCに移籍し[2]、29節のホームでのFCバルセロナ戦 (0-4) でデビューした。様々なポジションで起用され、2004-05シーズンは6位でUEFAカップ出場権を獲得し、2005-06シーズンはUEFAカップで優勝した。2006-07シーズンのUEFAカップ決勝・RCDエスパニョール戦では先制点を挙げ、チームはPK戦の末に勝利して2連覇[3]。2006年9月、クラブと新たに5年の契約延長を交わした[4]。スペインに移り住んで3年が経ちスペイン国籍を取得した。2009-10シーズンは27試合(無得点)に出場して4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
バルセロナ
2010年7月16日、移籍金950万ユーロでFCバルセロナへ移籍、契約期間は4年+1年の契約延長オプション付きで、違約金は9000万ユーロに設定された[5]。背番号はDFドミトロ・チグリンスキーがFCシャフタール・ドネツクへ移籍したことで空いた21番に決定した[6]。8月14日ヴォレレンガ・フォトバルとのプレシーズンマッチの後半から出場してデビューし、公式戦にはスーペルコパ・デ・エスパーニャのセビージャFC戦1stレグでデビューした。2012年10月7日、リーガ・エスパニョーラ第7節のレアル・マドリード戦において、初めてセンターバックとして出場した。バルセロナでは主にダニエウ・アウヴェス、エリック・アビダル、ジョルディ・アルバなどの両サイドバックの控えとしてプレイしたが[7]、ローテーションの域を出ることはなかった。
ベジクタシュ
アトレチコ・パラナエンセ
2019年7月23日、アトレチコ・パラナエンセに1年半契約で移籍した[9]。
オイペン
2020年8月、KASオイペンに移籍した。
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代表歴
2003年にはU-20ブラジル代表としてアラブ首長国連邦で開催された2003 FIFAワールドユース選手権に出場して優勝した。その年にブラジルA代表に初招集され、2004年にはペルーで開催されたコパ・アメリカ2004でタイトルを勝ち取った。
私生活
既婚で2人の息子がいる。
所属クラブ
個人成績
- 2011年1月26日時点
タイトル
クラブ
- コリチーバFC
- カンピオナート・パラナエンセ : 2回 (2003, 2004)
- セビージャFC
- UEFAカップ : 2回 (2005-06, 2006-07)
- UEFAスーパーカップ : 1回 (2006)
- コパ・デル・レイ : 2回 (2006-07, 2009-10)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1回 (2007)
- FCバルセロナ
- FIFAクラブワールドカップ : 2回 (2011, 2015)
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2回 (2010-11, 2014-15)
- UEFAスーパーカップ : 2回 (2011, 2015)
- プリメーラ・ディビシオン : 4回 (2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16)
- コパ・デル・レイ : 3回 (2011-12, 2014-15, 2015-16)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 3回 (2010, 2011, 2013)
- ベシクタシュ
- スュペル・リグ : 1回 (2016-17)
- アトレチコ・パラナエンセ
- コパ・ド・ブラジル : 1回 (2019)
- カンピオナート・パラナエンセ : 1回 (2020)
代表
- U-20ブラジル代表
- FIFAワールドユース選手権 : 1回 (2003)
- ブラジル代表
個人
- FIFAクラブワールドカップ得点王 : 2011
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脚注
関連項目
外部リンク
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