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アルタクセルクセス3世
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アルタクセルクセス3世(古代ペルシア語: 𐎠𐎼𐎫𐎧𐏁𐏂𐎠 Artaxšaçā アルタフシャサー、紀元前390年頃 - 紀元前338年)は、アケメネス朝ペルシア帝国第10代の諸王の王(在位:紀元前359年 - 紀元前338年)。初代キュロス2世による建国からほぼ200年後の王である。
経歴

即位前の初名はオコス(古代ギリシア語: Ὦχος Ôkhos オーコス)である。王子の頃から軍事指揮官として才能を発揮し、紀元前368年から358年にかけてシリアで起きた反乱を鎮圧するのに大功があった。紀元前359年に父アルタクセルクセス2世の跡を継いで王となったが、即位と同時に王位を脅かす恐れのあった兄弟たちを皆殺しにした。
アルタクセルクセス3世は暴君であったと伝えられるが、軍事的には成功をおさめている。即位直後にカスピ海沿岸に住むカドゥシオイ人を討伐し、さらに帝国西部で反乱を続けるサトラップたちとの戦いを繰り広げた。紀元前351年の反乱は、既に独立状態にあったエジプトからシリア、フェニキア、キュプロスにまで広がったが、紀元前348年にシリアまでを、紀元前342年にはエジプトを再びペルシアの支配下に組み込むことに成功した。このことはギリシア人のペルシアに対する行動を慎重にさせた。マケドニア王ピリッポス2世(アレクサンドロス3世(大王)の父)も、この当時はアケメネス朝との協調を模索している。
しかし紀元前338年末頃、アルタクセルクセスは息子たちとともに、宦官で大臣のバゴアスにより毒殺され、ペルセポリスの墓所に葬られた。バゴアスに擁立された息子のアルセス(アルタクセルクセス4世)が王位を継いだが、アルセスもまたバゴアスに毒殺された。
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名称
原語はアルタフシャサー(古代ペルシア語: 𐎠𐎼𐎫𐎧𐏁𐏂𐎠 Artaxšaçā)で、「天則による統治」を意味する。ペルシア語ではアルデシール(ペルシア語: اردشیر Ardešīr)という。アルタクセルクセス(古代ギリシア語: Ἀρταξέρξης Artaxérxēs アルタクセルクセース)は、古代ペルシア語による王名が古代ギリシア語において転訛した形で、3人のアケメネス朝ペルシア王名で知られている。ギリシア語表記からアケメネス朝ペルシア王名のクセルクセス(原語はフシャヤールシャーで、「男を治める」を意味する)に接頭辞をつけた派生形の王名と誤解されやすい。
家族
以下の子女が知られる。
文献
- Pierre Briant: From Cyrus to Alexander: A History of the Persian Empire. Winona Lake 2002
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