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アントニオ・デマルコ

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アントニオ・デマルコAntonio DeMarco1986年1月7日 - )は、メキシコ男性プロボクサーシナロア州ロスモチス出身。元WBC世界ライト級王者。メキシカンスタイルでは珍しいサウスポー。

概要 基本情報, 本名 ...

来歴

要約
視点

2004年6月21日、メキシコでプロデビュー。

2009年2月7日、NABO北米ライト級王座決定戦でアルマズベック・ライムクロフ(ウズベキスタン)と対戦し、9回終了時棄権による勝利を収め王座を獲得した。

2009年10月31日、WBC世界ライト級暫定王座決定戦で、同級2位で元WBA世界ライト級王者のホセ・アルファロニカラグア)と対戦し、10回TKO勝ちで暫定王座を獲得した[1]

2010年2月6日、メキシコ・モンテレイモンテレーアリーナで行われたWBC世界ライト級王座統一戦で、正規王者エドウィン・バレロベネズエラ)と対戦。9回終了時に棄権し王座から陥落した[2]。バレロは2か月後の4月19日に自殺したため、生涯最後の対戦相手となった[3]

2011年2月26日、WBC世界ライト級シルバー王者で同級2位のレイジェス・サンチェス(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ちでシルバー王座とWBC世界ライト級王座挑戦権を獲得した[4]

2011年10月15日、アメリカカリフォルニア州ロサンゼルスステイプルズ・センターで行われたWBC世界ライト級王座決定戦で、世界2階級制覇王者で同級2位のホルヘ・リナレス帝拳)と対戦。リナレスの鼻筋と右まぶたがカットし流血。11回、鮮血に染まった顔面に連打を浴びせレフェリーストップ。TKO勝ちで王座返り咲きを果たした[5]

2012年3月17日、地元ロスモチスで同級15位ミゲル・ローマン(メキシコ)と対戦し、5回KO勝ちで初防衛に成功した[6]

2012年9月8日、アメリカ・カリフォルニア州オークランドオラクル・アリーナで同級15位ジョン・モリーナ・ジュニア(アメリカ)と対戦し、ライト級最短KO決着となる初回44秒TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。左ストレートが当たった途端モリナは腰砕けになって一気に後退。最後はロープ際で滅多打ちにしてダウン寸前になった所をレフェリーが救出した。

2012年11月17日、アメリカ・ニュージャージー州アトランティックシティボードウォーク・ホールで、同級4位で元WBO世界スーパーフェザー級王者エイドリアン・ブローナー(アメリカ)と対戦し、8回に左アッパーで初ダウンを奪われるとそのままセコンドが棄権を申請し8回1分49秒TKO負けで3度目の防衛に失敗し、王座から陥落した[7]

2014年11月22日、マカオにあるザ・ベネチアン・マカオコタイ・アリーナマニー・パッキャオVSクリス・アルギエリの前座でWBA世界スーパーライト級王者ジェシー・バルガスと対戦するが、0-3(3者とも112-116)の判定負けを喫し2階級制覇達成とはならなかった[8]

2015年6月21日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナランセス・バルテレミーとノンタイトル10回戦で対戦し、4回にダウンを奪われ、9回にはバルテレミーがローブローで減点されるも、0-3の判定負けを喫し、引退を表明した[9][10][11]

2015年9月26日、引退を撤回してオマール・フィゲロアと対戦が決まっていたが、フィゲロアが練習中に肘を負傷して試合中止となった[12]

2015年12月12日、テキサス州サンアントニオのAT&Tセンターでオマール・フィゲロアとスーパーウェルター級契約のノンタイトル12回戦で対戦し、0-3の判定負けを喫した。

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獲得タイトル

  • NABO北米ライト級王座
  • WBC世界ライト級シルバー王座
  • WBC世界ライト級暫定王座(防衛0)
  • WBC世界ライト級王座(防衛2)

脚注

関連項目

外部リンク

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