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イゴール・レディアコフ
ロシアのサッカー選手 ウィキペディアから
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イゴール・レディアコフ(Igor LEDIAKHOV, 1968年5月22日 - )は、ロシア・ソチ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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経歴
現役引退後は、2007年にFCロストフでスポーツディレクターを務め、2008年6月6日からスパルタク・モスクワのユースチームの監督を務めている。同年8月から9月にかけて、トップチームの暫定監督に就任したが、監督決定後は元に戻っている。2009年12月22日、ロシア1部リーグ(実質2部)のシンニク・ヤロスラヴリの監督に就任。現役時代には23試合出場イエローカード14枚という記録も持っている。
横浜フリューゲルス時代
1998年、スポルティング・ヒホンに在籍中に、レンタルでJリーグの横浜フリューゲルスに加入し、パウロ・フットレらと攻撃陣をリードした[1]。4月25日のジェフ市原戦で決めたJリーグ初ゴールは、Jリーグ4500点目のメモリアルゴールとなった[2]。23試合で15ゴールを決めたが、フリューゲルスが消滅するにあたり第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会には出場せず、1998年度限りで退団した[1]。その年のルーキーだった遠藤保仁が後年受けたインタビューで最もプレーに衝撃を受けた選手としてレディアコフの名を挙げ、「懐が深く、彼からはボールを奪える気が全くしなかった」とそのプレーを称賛している[3]。
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所属クラブ
FC SKAロストフ・ナ・ドヌ 1988-1989
ドニプロ・ドニエプロペトロフスク 1990
FCロトール・ヴォルゴグラード 1991-1992
FCスパルタク・モスクワ 1992-1994
スポルティング・デ・ヒホン 1994-2002
SDエイバル 2003
個人成績
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 16試合 1得点(1992年-1994年)[4]
脚注
関連項目
外部リンク
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