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インドネシアの首相
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インドネシアの首相(Perdana Menteri Republik Indonesia)は、1945年から1966年にかけて設置されていたインドネシア政府の役職。内閣の首班を担当し、インドネシア大統領、インドネシア中央国家委員会とともに行政権を分担した。
概要
1945年に制定されたインドネシア共和国憲法には大統領制を敷くことが明記されたが、首相については明記されていなかった。しかし、同年11月にはシャフリルが初代首相に就任している[1]。正式に首相の地位が明記されたのは、1950年に制定されたインドネシア共和国暫定憲法第52条によってである[2]。
首相は大統領によって任命され、内閣の主席として通常の行政事務を処理すると同時に、大統領と副大統領に対して責任を負った[1]。実際には中央国家委員会に対して責任を負い、政策決定の際には事前に大統領に相談することになっていた。首相が大統領または中央国家委員会と対立した場合には罷免され、別の人物が首相に任命されることになっていた[3]。首相は連立内閣を率いることが多く、そのため政権は常に不安定な状態であり内閣不信任決議を出される事態が頻発した。主要な法案が提出されるたびに野党から反発を受けて議会が停滞し、首相は数か月間で退陣に追い込まれることもあった[4]。
1959年7月5日、スカルノは与党が制憲議会で3分の2を維持できないことから、大統領令を布告して独立当初の1945年憲法を復活させた。これにより、憲法から首相の条文が消滅することになったが、スカルノは同月9日に憲法の規定から消滅した首相を兼務することを発表[5]し、以降の演説では自身を「大統領兼首相」と名乗った[6]。
1965年に発生した9月30日事件によってスカルノの権威は失墜し、翌1966年の「3月11日命令書」によりスハルトが全権を掌握したことで事実上失脚した。同年7月25日にスカルノは首相を辞任し、これ以後、憲法に規定がないため首相は任命されず廃止された[7]。
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出典
参考文献
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