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ウィル・ホワイト

アメリカ合衆国の野球選手 (1854-1911) ウィキペディアから

ウィル・ホワイト
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ウィリアム・ヘンリー・ホワイト(William Henry White, 1854年10月11日 - 1911年8月31日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ケイトン出身のプロ野球選手(投手)。右投両打

概要 基本情報, 国籍 ...

ニックネームはWhoop-La。40勝を3回挙げるなど活躍した。兄のディーコン・ホワイト、従兄のエルマー・ホワイトも共に野球選手である。

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経歴

1877年にボストン・レッドキャップス(後のアトランタ・ブレーブス)でメジャーデビュー。3試合に先発し2勝を挙げる。

1878年にはシンシナティ・レッズに移り、468.0回を投げ、防御率1.79、30勝、169奪三振を挙げるなど大躍進。

1879年もフル回転し、43勝、232奪三振、75試合に先発し75完投、史上最多の680.0投球回を投げ抜きながら防御率1.99と、多くの部門で自己最高を記録した。

1880年は防御率が前年に比べ0.15悪くなっただけだったが、打線の援護に恵まれず42敗を喫する。しかしそれ以外の部分では前年に次ぐ水準の記録を残した。翌1881年は、新規参入したデトロイト・ウルバリンズに移籍したが、2試合にしか登板できなかった。

1882年、シンシナティ・レッドストッキングス(後のシンシナティ・レッズ)に移籍したホワイトは復活を成し遂げる。40勝12敗でリーグ最高の勝率.769、自己最高の防御率1.54。翌1883年も43勝、さらには3年ぶりの年間500投球回も記録。1884年も34勝と、投手陣の柱としてチームを引っ張った。

1885年は30歳を迎える年となり、これまでのような鉄腕ぶりは影を潜めるようになる。投球回は300を切り(それでも33試合完投)、そして1886年7月5日が生涯最後の登板となった。実動年数は10年だった。

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詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 「-」は記録なし。
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
  • 太字はリーグ1位、赤太字はMLB歴代1位。

獲得タイトル・表彰・記録

以下、歴代順位はいずれも2016年度シーズン終了時の順位である。

  • 年間先発:75 (歴代1位タイ)
  • 年間完投:75 (歴代1位)
  • 年間対戦打者:2906 (歴代1位)
  • 年間投球回:680.0 (歴代1位)
  • 年間被安打:676 (歴代3位タイ)
  • 年間敗戦数:42 (歴代2位)
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関連項目

外部リンク

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