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エイシンダンカーク
アメリカで生産され日本で活動した競走馬 (1997-) ウィキペディアから
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エイシンダンカーク[1] (Eishin Dunkirk) とは、アメリカ合衆国で生産された競走馬・種牡馬。日本で競走生活を送り、引退後には種牡馬となっておもにスウェーデンで実績を挙げた。
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競走馬時代
中央競馬で、おもにダートの短距離戦を使われた[2]。デビューは1999年(旧3歳時)で、3戦目で初勝利を挙げた。 2勝目は2000年9月の4歳以上500万円以下競走であったが、この勝利は騎手を務めた鮫島克也にとって中央競馬での初勝利となった。11月には4歳以上900万円以下競走で3勝目を挙げたが、その後怪我により長期休養を余儀なくされた。休養中、内藤繁春厩舎の定年解散にともない2001年3月より田原成貴厩舎へ、12月には田原の不祥事により藤原英昭厩舎へ、合わせて2度の移籍をしている。
5歳となった2002年2月にようやく実戦復帰を迎えたが5着、10着に敗れ、日本中央競馬会 (JRA) の競走馬登録を抹消され、引退した。
競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[3]、JBISサーチ[4]に基づく。
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種牡馬時代
目立った競走実績はなかったが、6歳となった2003年よりレックススタッドで種牡馬となり、日本軽種馬協会のデータベース[5]によればこの年は6頭に種付けを行った。繁殖シーズン後にスウェーデンの牧場に購入され日本を離れることとなり、2005年よりスウェーデンで繋養されている。2006年にはスウェーデンでの初年度産駒が誕生。2年目産駒のなかからJelly Rollがスウェーデン2000ギニー、Wakayamaがブリーダーズトロフィーマイルを制している[6]。
日本では1シーズンのみの供用で競走馬としての産駒は4頭[2]と少ないが、そのうちオネストジョンが2007年に産駒の中央競馬初勝利を記録[2]。のちに地方競馬のホッカイドウ競馬へ移籍し、2010年に道営記念を制している[7]。
血統表
エイシンダンカークの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ミスタープロスペクター系 |
[§ 2] | ||
父 Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
父の父 Raise a Native1961 栗毛 |
Native Dancer | Polynesian | |
Geisha | ||||
Raise You | Case Ace | |||
Lady Glory | ||||
父の母 Gold Digger1962 鹿毛 |
Nashua | Nasrullah | ||
Segula | ||||
Sequence | Count Fleet | |||
Miss Dogwood | ||||
母 Forest Flower 1984 栗毛 |
Green Forest 1979 栗毛 |
Shecky Greene | Noholme | |
Lester's Pride | ||||
Tell Meno Lies | The Axe | |||
Filatonga | ||||
母の母 Leap Lively1978 栗毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
Quilloquick | Graustark | |||
Quillobelle F-No.2-n | ||||
母系(F-No.) | 2号族(FN:2-n) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | 5代内アウトブリード | [§ 4] | ||
出典 |
血統背景
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脚注
外部リンク
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