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カデル・エヴァンス

オーストラリアの自転車競技選手 (1977 - ) ウィキペディアから

カデル・エヴァンス
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カデル・リー・エヴァンスCadel Lee Evans1977年2月14日 - )は、オーストラリアノーザンテリトリーキャサリン (ノーザンテリトリー)出身の自転車競技選手。

概要 カデル・エヴァンスCadel Evans, 基本情報 ...
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経歴

要約
視点

2006年シーズンまで

1993年

1994年

  • マウンテンバイク世界選手権・ジュニア部門
    • クロスカントリー(XC) 2位

1995年

1996年

  • マウンテンバイク世界選手権・ジュニア部門
    • XC 3位

1997年

  • マウンテンバイク世界選手権・U23部門
    • XC 2位

1998年

1999年

  • UCIマウンテンバイクワールドカップ XC部門総合優勝
  • ツアー・オブ・タスマニア 総合優勝(第3ステージ 優勝)
  • マウンテンバイク世界選手権・U23部門
    • XC 2位

2000年

2001年、サエコ・マッキーネ・ペル・カッフェと契約。

2002年、マペイ・クイックステップに移籍。

2003年、テレコム(後のチーム・HTC - ハイロード)に移籍。

2004年

2005年、ダヴィタモン・ロット(後のロット・ベリソル)に移籍。

2006年

2007年シーズン

2008年シーズン

2009年シーズン

  • ミスター2位という座すら追われ、背水の陣で望んだブエルタ・ア・エスパーニャであったが、初の山岳ステージとなった第8ステージでマイヨ・オロを入手するものの、次の第9ステージで3位争いのスプリントに敗れ、2秒差の2位にいたアレハンドロ・バルベルデに1秒先着を許すだけでなくボーナスタイム8秒も加わり9秒を失い2位へ転落する。そのまま2位で勝負所の連続山岳デーに突入、しかし第13ステージでトップ争いをしている中パンクで1分以上を失い、2位から6位まで一気にダウン。その後我慢の走りで第19ステージまでに4位まで復帰、得意のTTで2位浮上を狙うがサムエル・サンチェスに阻まれ3位に終わる。タラレバの話になってしまうがあのパンクさえ無ければトップから32秒差の2位、場合によっては総合優勝も狙えただけに、運の悪さに破れ悔しいブエルタになってしまった。

2010年シーズン

  • アルカンシエル着用での凱旋となったツアー・ダウンアンダーでは、第5ステージで一時単独逃げを決めるなど果敢な走りで敢闘賞に輝き、総合でも6位に入った。
  • ツール・ド・フランスでは、序盤から手堅くレース運びをし、第8ステージ、スタート直後落車に巻き込まれるが、先頭集団に追いつき総合首位に躍り出る[2]。しかし、休日明けの第9ステージ、最終山岳のマドレーヌ峠で集団がペースアップすると遅れはじめ、ライバルのアンディ・シュレックアルベルト・コンタドールらから8分遅れてゴール。マイヨ・ジョーヌ争いから脱落してしまう。ゴール後、第8ステージの落車で左肘を骨折していたことを明らかにした。その後も怪我に苦しみながら完走し、総合26位に終わる。
  • グランプリ・ド・ワロニー 3位
  • 連覇を目指したロード世界選手権2010では、常にメイン集団もしくは逃げ集団を追いかける第二集団に属し、終盤ではアタック潰しで集団を引っ張るなど積極的に動いた。ゴール直前の最終局面では20名前後からなるトップ集団にいたものの、度重なるアタック潰しで力尽きていたのかゴールスプリントに加われず17位に沈んだ。

2011年シーズン

  • ティレーノ〜アドリアティコ 総合優勝 & 区間1勝(第6)。
  • カタルーニャ一周 総合8位
  • ツール・ド・ロマンディ 総合優勝
  • クリテリウム・デュ・ドフィネ 総合2位
  • ツール・ド・フランス
    • 総合優勝
    • 区間1勝(第4)
    • 第1ステージから終始総合2〜3位をキープし、第4ステージでアルベルト・コンタドールを制して区間優勝。勝負どころとなった第18ステージ、イゾアール峠でのアンディ・シュレックのアタックを見送る。アンディは先行していたチームメイトのアシストと合流し、一時期エヴァンスと4分半まで差が開くが、アシストがいないエヴァンス自ら追走集団を引っ張り、ガリビエ峠の頂上ゴールではアンディとの遅れを2分強、総合タイムで逆転されるものの差を1分弱に留めた。続く第19ステージではコンタドールが序盤でアタック。アンディ、エヴァンス、総合首位のトマ・ヴォクレールが反応し4人のグループが形成される。エヴァンスはメカトラブルで遅れ、追走集団と合流し、最終山岳のラルプ・デュエズの麓で追いつき、アンディとは同タイムでゴール。山岳ステージを全て終えた第19ステージ終了時点で、総合首位のアンディ・シュレクに57秒差の総合3位で迎えた第20ステージのグルノーブルの個人タイムトライアルにおいて、アンディに2分38秒差をつけて逆転。総合では1分34秒差となり、総合優勝を確定させた。オーストラリア国籍選手としては史上初のツール・ド・フランス総合優勝者となり、また34歳での総合優勝は、第二次世界大戦後に行われたツール・ド・フランスでは最年長記録である。
  • UCIワールドツアー 個人総合2位

2012年シーズン

2013年シーズン

2014年シーズン

2015年シーズン

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特徴

TTで強さを発揮するが、山も登れるというTTスペシャリスト寄りの典型的オールラウンダーである。ただ安定して上位には入るものの、何かしらのアクシデントや勝負所での負けにより1位が取れないという、レイモン・プリドールに並ぶミスター2位となってしまっていた。

もっとも、在籍していたサイレンス・ロットのアシスト陣が脆弱なため、エヴァンスが勝ちきれないと指摘する見方もあった(2009年のNHKのツール・ド・フランスダイジェストより)。そのため、2010年にBMC・レーシングチームに移籍。移籍後はツール・ド・フランスや、その他のUCIワールドツアー対象ステージレースで総合優勝を果たすなど、『ミスター2位』を払拭している。

脚注

外部リンク

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