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グリフィン・ダン
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グリフィン・ダン(Griffin Dunne, 1955年6月8日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市生まれの俳優、映画監督、プロデューサーである。
来歴
俳優としてのほか、映画監督やプロデューサーとしてもその手腕を発揮するダンは、1955年にニューヨーク市に生まれた。父親は元映画プロデューサーで文筆家のドミニク・ダン、叔父は脚本家のジョン・グレゴリー・ダン、妹は『ポルターガイスト』への出演後に恋人に殺害された女優のドミニク・ダンである[1]。父方は裕福なアイルランド系の資産家一族で、母方もアリゾナで大牧場を経営する裕福な一家であった。
しばらくして両親によりロサンゼルスへ移り住み、1970年代に再びニューヨークへ戻るまではコロラド州の学校にも在籍していた。両親は離婚したが、脚本家の叔父夫婦とはその後も親しくしており、ニューヨークへ移ってから少しずつ映画や舞台に出演するようになった。1981年のジョン・ランディス監督のカルト映画『狼男アメリカン』や、1985年のマーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』に出演した頃から、徐々にその名が知られていく。その後も着々とキャリアを重ね、リュック・ベッソン監督の『グラン・ブルー』などの様々な映画に出演する。テレビドラマへの出演も数多く、ティム・バートン監督がまだ駆け出しの頃に監督した『ヒッチコック劇場』の1エピソードの主演などを務めた。
映画監督の仕事にも挑戦しており、1996年にユマ・サーマン、キーファー・サザーランドなどを起用したテレビ用の短編『デューク・オブ・グルーヴ』はアカデミー賞にノミネートされた。それがきっかけで、長編映画の監督としてもニコール・キッドマン、サンドラ・ブロック出演のファンタジーコメディ映画『プラクティカル・マジック』などの監督を務めている。
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家族
- 祖父・リチャード・エドウィン・ダン(1894-1949) ‐ ハートフォード (コネチカット州)の外科医。アイルランド移民の子。[2]
- 祖母・ドロシー・フランセス・バーンズ(1898-1987) ‐ ハートフォードの富商の娘。アイルランド移民の父親は食肉店を成功させ、地方銀行を設立するまでになった。[3]
- 父・ドミニク・ダン(en:Dominick Dunne,1925-2009) ‐ 映画プロデューサー、文筆家。娘の殺害事件をきっかけに犯罪ライターとして活躍し、自身の名を冠した犯罪実録番組のキャスターも務めた。
- 母・エレン・グリフィン・ダン(en:Ellen Griffin Dunne, 1932-1997) ‐ アリゾナの牧場主で富商の娘。父親はアイルランド系アメリカ人、母親はメキシコ人。グリフィンを含む5人の子を儲けたが、1965年に離婚。娘の殺害事件後、殺人被害者の会主宰。
- 妹・ドミニク・ダン(Dominique)
- 妻 ‐ 2度の結婚・離婚歴がある。1989年に女優のキャリー・ローウェルと結ばれ、1人の女児をもうけたが、1995年に離婚した。2009年にスタイリストと再婚したが、翌年離婚。
- 娘・ハンナ・ダン(en:Hanna Dunne, 1990-) ‐ 女優
- 叔父・ジョン・グレゴリー・ダン(en:John Gregory Dunne, 1932-2003) ‐ 脚本家。ジョーン・ディディオンの夫。
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出演作品
映画
テレビ
テレビ番組
- サタデー・ナイト・ライブ Saturday Night Live (1986年)
- 弁護士ビリー・マクブライド Goliath (2019年)
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監督作品
映画
- 恋におぼれて Addicted to Love (1997年)
- プラクティカル・マジック Practical Magic (1998年)
- Fierce People (2005年)
- New York 結婚狂騒曲 The Accidental Husband (2008年)
- ムービー43 Movie 43 (2013年) - 共同監督
テレビ
- デューク・オブ・グルーヴ Duke of Groove (1996年) ※アカデミー賞ノミネート
脚注
外部リンク
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