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ザ・クーガーズ
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ザ・クーガーズ(The Cougars )は、1966年に結成されたグループ・サウンズのバン ド。1968年10月に、2枚の同時発売シングル「テクテク天国」「あこがれ」でデビュー。1968年夏頃解散。
メンバー
概要
要約
視点
1961年に日本ビクターからデビューしたロカビリー歌手の倉光薫[6]が、1966年10月に結成したエレキギター・バンドのゲーターズ(Gatores)が前身。翌1967年5月に日本クラウンから青春歌謡歌手としてデビューした出光功[7]を加え改名。同年9月26日にジャズ喫茶新宿ACBでステージデビューを経て、10月に日本クラウンからレコードデビューした。
所属事務所のエコー・プロダクション[8]ではザ・ジャガーズが所属してミリタリールックで好評を得ていた。
当時は「交通戦争」と呼ばれるほど全国交通事故死者数がワースト・ピーク[9]で、政策として交通安全意識の啓発と交通指導誘導員「みどりのおばさん」が増員される状況だった。休日には都心部の道路を車両通行止めにする「歩行者天国」が開始され、楽曲「テクテク天国」はこの道路交通事情と人災が相次いだ社会情勢を反映したユーモア曲として制作された背景がある。その後の「あこがれ」は出光のソロ2作目を兼ねた中途半端な発表となった。 前身のゲーターズがエレキ・インストゥルメンタル・バンドを兼ねて発足したこともあり、「アフロデティ」などでは松本のトレモロ・アームを駆使した印象的なリード・ギターや、土志田のハイハットとシンバルを多用する卓越したロック・ドラム奏法を聴くことができる。
首都圏のジャズ喫茶を中心に活動し、音楽テレビ番組や映画などでも活躍していたが、1968年に入りグループサウンズブームの退潮する中、土志田が脱退。5人と臨時サポートメンバーによるシングル「青い太陽」を発売後、長瀬実を加え心機一転を図ったが打開には繋がらず。出光は転職の誘いを貰い、倉光は音楽家としてキャリアアップを望み、同年の秋頃にバンドは活動を停止した。
付記
- 同時発売となったシングルで「あこがれb/wこころの恋人」は、「出光功/ザ・クーガーズ」名義。
- 長瀬実はボーカルとして加入(ドラムは殆ど扱えなかった)、ザ・クーガーズの活動停止後はいくつかの客演を経て同じくエコー・プロダクション所属していた末期のザ・ブルーインパルスに加入した。
- 倉光薫のバックバンド、エレキ・インストロメンタル・バンドとして結成した経緯から非公式に「倉光薫と(ザ・)クーガーズ」と呼称することがある。スコットランド風衣装と演奏する楽曲に関連性は無かった。
- ソロ活動再開後の倉光は、1970年穂口雄右らが携わった朝比奈愛子らの企画オムニバス・アルバムに参加、のち「倉光カオル」の別表記で歌手活動と作曲業ではデビル雅美などに楽曲を提供、漫画家はらたいらとは楽曲の共作をきっかけに親交を深めた。はら没後には漫画家さとう有作と祈念の演奏会「はらたいら記念ライブ」や2010年発表The JADEによる、はら作詞の未発表楽曲「くじらのあくび」に携わった。
- 倉光薫は、旧交から岡本和夫(または岡本和雄。もと寺内タケシとブルージーンズ。)達を伴うオールディーズ音楽バンドの「倉光薫とニュークーガーズ」名称を使い分け演奏活動を続けたが2010年11月、癌で死去した。
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ディスコグラフィ
シングル
- テクテク天国(詞 水沢圭吾、曲 竹村次郎)/アフロデティ(詞 春名美幸、曲 原田良一)日本クラウンPW-2 1967年10月1日発売
- あこがれ(詞 なかにし礼、曲 三木たかし)/こころの恋人(詞 なかにし礼、曲 三木たかし)日本クラウンPW-4 1967年10月1日発売 ※出光功・ザ・クーガーズ名義
- 好きなんだ(詞 倉光薫、曲 倉光薫)/J&A(詞 水沢圭吾、曲 小杉仁三)日本クラウンPW-10 1968年2月1日発売
- 青い太陽(詞 水沢圭吾、曲 鏑木創)/可愛い悪魔(詞 水沢圭吾、曲 鏑木創)日本クラウンPW-22 1968年5月1日発売 ※NETテレビ連続ドラマ「青い太陽」主題歌(主演・小林幸子、放送期間・1968年4月3日- 1968年9月25日)
脚注
文献
関連項目
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