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ザ・ナターシャー・セブン

日本のフォークバンド (1971-1985) ウィキペディアから

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ザ・ナターシャー・セブンは、1970年代から1980年代前半にかけて活躍したフォークバンド。ブルーグラスやアメリカのトラディショナルフォーク、日本の民謡の他、世界各国の伝承曲をレパートリーとしていた。宵々山コンサートの開催や、107 SONG BOOKの発行を行う。メンバーは、高石ともや(友也)、城田じゅんじ(純二)、坂庭しょうご(省悟)、木田たかすけ(高介)の4名が有名。

概要 ザ・ナターシャー・セブン, 別名 ...

バンド名の表記は、時期によって、「高石ともや」の先頭への付記の有無、「ナターシャー」と「ナターシャ」の違い、がある。当記事では、最も活動的であった時期の表記である「ザ・ナターシャー・セブン」とした。英語表記は THE NATARSHAR SEVEN である。当記事中は「ナターシャー」と略した。

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活動の記録

要約
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結成

高石と城田の出会いがバンド結成のきっかけ。その当時、京都産業大学3回生であった城田は、既にブルーグラスバンジョー奏者として活動を始めていた。一方、高石は、自身の音楽活動の方向性を求め、フォークソングの原点を探し求めていた頃であった。二人は意気投合し活動を共にし始める。二人を引き合わせたのはフィドル奏者の井芹誠であった。

1971年1月、高石、城田、井芹、北村謙、元マヨネーズの箕岡修の5名で「バック・ステップ・カントリーバンド」( Back Step Country Band )を編成。

1971年2月28日には、「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」と改名。バンド名の由来は高石が住んでいた福井県遠敷郡名田庄村(現:大飯郡おおい町名田庄)をもじったものであり、「セブン」は語呂合わせに付けた。命名は、七人の会社長の榊原詩朗による。榊原がマネージャーとプロデュースを行ない、活動を開始した。

最盛期

バンド結成以来、高石の妹のとし子がサポートメンバーとして参加するなどメンバーの入れ替えが頻繁にあったが、1975年から1980年初頭まで続いた、高石、城田、マヨネーズからはしだのりひことクライマックスを経て加入した坂庭、元ジャックスの木田の4名での活動が、最も安定的で活動的であった。この頃は「ザ・ナターシャー・セブン」と称していた。

1973年から始めた宵々山コンサートは毎年開催し、京都の夏の恒例行事となる。また、昼下がりコンサートや年忘れコンサートも開催された。全国各地でもコンサートや野外フェスティバルを開催。1976年、107 SONG BOOKを発行し、レコード化する。これはレコード大賞企画賞を受賞した。

1977年に自切俳人とヒューマン・ズーに、杉田二郎グループと共に参加。普段のスタイルとは違う、コミカルな楽曲と演奏を行った。これにダウン・タウン・ブギウギ・バンドを加えてJ・D・S・Nと称することもあった。J-自切俳人、S-杉田二郎、D-ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、N-ナターシャーの意味。なお、自切俳人(じきるはいど)とは北山修の変名。

必ず一年に一回は労音巡りをしており、青函連絡船にまで乗ったこともあったため、全国区で名が知られていた。

衰退期

しかし、1980年2月に木田が脱退。そして間もない1980年5月に交通事故で死去。また1982年2月には、榊原がホテルニュージャパン火災で死去した。バンドを支えた2人を相次いで失ったこの頃を境に、意見の対立が顕在化し徐々にまとまりを失っていく。1983年には城田が脱退。1984年の宵々山コンサートでは、坂庭が自分のソロコーナーにおいて、再三再四、城田にステージに上がるように呼びかけたが(この時、城田が実際に会場に来ていたかどうかは不明)、結局、城田がステージに上がることはなかった。また、高石は、坂庭が城田に呼びかけているとき、ステージには現れなかった。この直後に、メンバーを入れ替えて再スタートを切ったのだが、翌年の1985年、活動を停止した。そして、宵々山コンサート自体も、同年をもって終了した(1994年に再開)。ちなみに、1985年の宵々山コンサートはナターシャーの活動停止後だったので、ナターシャーは出演していない(高石兄妹と城田はソロとして参加)。

期間限定リユニオン

1998年、高石のディレクティング・マネージャーを担当することになった株式会社マクランサ林正史が城田と坂庭を説得し、長年の離別を解き、ナターシャ(ーがない)・セブンの再結成を実現させた。

林は高石・城田・金海時代のナターシャのPA担当や、「春を待つ少女」のプロデューサーであるが、フォーク界の人間ではなく、海外から来日する著名なジャズミュージシャンのPAやシンセサイザーの冨田勲のプロデューサー、レーシングカー「童夢」やF1フェラーリのマーケティング・ディレクターとしてさまざまな世界で活躍しており、彼への信頼感が再結成のきっかけとなった。再結成後は、林のディレクションによりレーコーディングやコンサート活動を積極的に展開するが、2003年12月、坂庭が癌により死去、2004年、城田が音楽活動を停止したことに伴い活動も自然消滅(城田はその後、2010年に活動を再開している)。

2011年、宵々山コンサートで1日限りの再結成[1][2][3]。メンバーは高石、城田、金海(兼松も参加していたがメンバーとは別)。

2012年9月、「ザ・ナターシャー・セブン第二章」として、高石・城田の2人でのライブを大阪で開催[4]。「第1回 カーターファミリーをお手本に」と銘打って、ナターシャーのレパートリーの中からカーター・ファミリーの18曲を中心に演奏した。2013年4月に「第2回 オールド・タイミーと中津川フィールドフォーク編」、同年9月に「第3回バンジョーに夢中だったあの頃、ブルーグラス編」、2014年4月に「第4回あの頃のフォークを歌おう!」を開催。2015年4月に第4回を開催の予定。

メンバーの変遷

  • 1971年1月 - 高石ともや、城田じゅんじ、井芹誠、北村謙、箕岡修がバック・ステップ・カントリーバンドを結成。数ヵ月の内に、井芹、北村、箕岡は脱退。
  • 1971年4月 - 金海たかひろ(孝寛)が参加。
  • 1973年 - 坂庭しょうご(省悟)が参加。金海が脱退。
  • 1975年 - 木田たかすけが参加。
  • 1979年 - 進藤さとひこ(了彦)が参加。
  • 1980年 - 木田が脱退しソロ活動再開したが、直後に死去。
  • 1981年 - 兼松ゆたか(豊)が参加。
  • 1983年 - 城田が脱退し渡米。
  • 1984年 - 坂庭、進藤、兼松が脱退。藤木頌子が参加し、メンバーの抜けたバンドを支えるが、1985年、活動停止。
  • 1998年 - 高石、城田、坂庭でザ・ナターシャ・セブンとして活動再開。作家の東理夫がサポートメンバーとして1999年まで参加。
  • 2001年 - 松田幸一がこの年のみ参加。
  • 2002年 - 金海が復帰するが、この年限りで解散。
  • 2003年 - 坂庭が死去。
  • 2011年 - 宵々山コンサートで1日限りの再結成。メンバーは高石、城田、金海(兼松も参加していたがメンバーとは別)。
  • 2012年 - 「ザ・ナターシャー・セブン第二章」として高石、城田の2人でのライブを開催。
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ザ・ナターシャー・セブンの音楽性

フォークソングの原点を求め、そして、日本のフィールドにおける実践を試みたバンドである。

ブルーグラスやアメリカン・トラディショナル・フォークをベースとしつつ、しかし、単に模倣するのではなく、日本の土地柄や文化に即して意訳をした。日本や世界各地の民謡を取り上げることもあった。 バンドは、バンジョー、ギター、マンドリン、フィドル、ベース、ピアノなどで編成し、全員がボーカルを担当。当初、電気楽器やドラムはあまり用いられていなかったが、70年代終盤あたりからは時代の趨勢もあり、コンテンポラリーな味付けもされていた。そして、コンサート、特に野外を中心として演奏を行なった。

107 SONG BOOK

メンバーが今まで歌ってきた歌から107曲を選び載せている。1971年5月頃から手掛け始め、楽譜の写植、版画、印刷まで全てメンバーとスタッフが手作りした。七人の会出版から1976年4月に第1版を発行、1978年にかけて第3版まで発行される。そして、自分達で行商に出かけ、楽器店やレコード店、コンサートなどで販売した。

お手本は、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(New Lost City Ramblers)の作った「ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ・ソングブック」(1964年)。これはアメリカの古いフォークソング(ヒルビリー)を採譜して曲集にしたものであった。

1976年4月から3ヶ月ごとに発売しながら11枚のアルバムとしても発表。この活動も含め、1978年の第21回レコード大賞で企画賞を受賞した。

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ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

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非売品

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シングル文庫

107 SONG BOOKの完結後に、季節ごとに発売したシングルのシリーズ。

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アルバム

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ライブ・アルバム

※ 宵々山コンサートは、宵々山コンサート#ディスコグラフィを参照。

椛の湖ピクニック

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フィールド・フォーク

我夢土下座とのコンサート録音を中心に構成されたアルバム。

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その他

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ベスト・アルバム

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107 SONG BOOKシリーズ

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関連項目

脚注

外部リンク

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