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杉田二郎
日本の歌手、宗教家 (1946-) ウィキペディアから
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杉田 二郎(すぎた じろう、1946年〈昭和21年〉11月2日 - )は、日本のフォーク歌手、シンガー・ソングライター。所属事務所はアップフロントクリエイト。
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来歴
京都府京都市出身。立命館高等学校を経て、1974年立命館大学文学部日本文学科卒業。実家は京都の金光教島原教会で、現在金光教島原教会副教会長。[要出典]金光教関係での音楽活動も行っている[1]。
1967年、アマチュアバンド「ジローズ(第1次)」(メンバーは杉田二郎(リーダー)、塩見大治郎、細原徹次郎)を結成[2]。
1968年、ラジオ『ヤングタウン』の「今月の歌」に取り上げられたオリジナル曲『あなただけに』が好評を博し、ラジオ放送用のテープが東芝音楽工業からシングルレコードとして8月1日、発売される。同年8月9日 - 11日、京都・山崎「宝寺(宝積寺)」で開催された第3回関西フォークキャンプに参加。『あなただけに』を後にはしだのりひことシューベルツでともに活動する越智友嗣(おちゆうじ)と披露した[2]。
その2ヵ月後に第1次ジローズは解散。その後、ザ・フォーク・クルセダーズの解散を控えた北山修から「京都のフォークのエネルギーを絶やしたくない」と、はしだのりひこ(端田宣彦)の新しいバンドへの加入を要請され、ザ・ヴァニティーで活動していた越智と井上博を加え、「はしだのりひことシューベルツ」を結成、リードギターとボーカルを担当。1970年には森下次郎とともに「ジローズ(第2次)」を結成し、『戦争を知らない子供たち』が大ヒットした[2]。
1972年からはソロ活動を開始。ソロ作品のヒット曲には『男どうし』、『ANAK (息子)』(1978年)などがある。2002年には、元ふきのとうの細坪基佳と「座・ジローズ」を新結成した[2]。
1974年3月10日に社長令嬢と結婚式を挙げそのままヨーロッパへの新婚旅行へ赴くも帰国後は実家の金光教教会長を継ぐべく一年間の修養生活に入る[3]。
また、北山修の歌詞を非常に気に入っており、自らのターニング・ポイントでは事あるごとに北山に作詞を頼んだという。なお、歌手活動再開時に北山に依頼した『男どうし』では曲終盤のカウントと手拍子を北山が担当している[4]。
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主な受賞歴
- 日本レコード大賞企画賞(1992年)
ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
参加楽曲
タイアップ曲
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出演
ラジオ
- アメリカ屋 花のフォークタウン(文化放送)
- 土曜ワイドBAOBAB(文化放送)
- 激突!サウンド・フィーバー 杉田二郎と渡辺真知子のサウンド・グラフィティ 俺たち音楽仲間(1978年-1979年、ニッポン放送)
- 杉田二郎と越美晴の俺たち音楽仲間(1979年-1981年、ニッポン放送)
- MBSチャチャヤング(MBSラジオ)
- 青春最前線 ドキドキラガジン(ラジオ大阪)
舞台
映画
- 17才 〜旅立ちのふたり〜(2003年、東映) - 吉田 役
脚注
外部リンク
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