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ジェイ・ウーソ

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ジェイ・ウーソ
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ジェイ・ウーソ(Jey Uso、1985年8月22日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州サンフランシスコ出身。WWE所属。

概要 ジェイ・ウーソ, プロフィール ...

本名はジョシュア・サミュエル・ファトゥ(Joshua Samuel Fatu)。父はリキシのリングネームで有名なソロファ・ファトゥ。双子の兄はWWEで共に活動しているジミー・ウーソ

来歴

2007年wXwにて双子の兄のジョナサン・ファトゥと共にプロレスラーとしてデビュー。

2009年、ジョナサンと共にWWEとディペロップメント契約。傘下団体のFCWにてジュレス・ウーソJules Uso)のリングネームでデビュー。ジミー・ウーソことジョナサンとのタッグチーム、ウーソズThe Usos)を結成し、デビュー早々トップの前線に立つ活躍を見せ、デューク・ロトンド&ボー・ロトンドと兄弟タッグ同士の抗争をした。2010年3月にはタミーナマネージャーに加え、同じく二世レスラーのチームであるジョー・ヘニング&ブレット・デビアスからFCWフロリダタッグチーム王座を奪取した。

5月、WWEに昇格。24日のRAWでの放送においてリングネームをジェイ・ウーソJey Uso)に変更し、ヒールとして登場。WWEタッグ王座を保持しているハート・ダイナスティを襲撃し、抗争を開始。RAWにおいてのノンタイトルマッチではハート・ダイナスティから勝利を奪うも、PPVであるオーバー・ザ・リミットでのタイトルマッチでは敗戦。ナイト・オブ・チャンピオンズでターモイルマッチによるタイトルマッチに再び挑戦。第一試合目からハート・ダイナスティと当たり、勝利。第二試合目のサンティーノ・マレラ&ウラジミール・コズロフにも勝利を収めるが、第三試合目のマーク・ヘンリー&エヴァン・ボーンに敗れたため、王座を奪取することができずに抗争は終了となった。

2011年4月末の追加ドラフトにて、兄のジミー・ウーソと共にスマックダウンへの移籍が決定。それでも出番はあまりなかったが、NXTにてカート・ホーキンスタイラー・レックス等のヒールと戦いベビーターン。

2019年2月17日、Elimination Chamber 2019WWE・スマックダウンタッグ王者チームザ・ミズ & シェイン・マクマホンに挑戦。ジミーとミズのフォールの取り合いになりミズからスカル・クラッシング・フィナーレを喰らうも切り返してフォールを奪い勝利。王座を戴冠した[1]

2024年4月、レッスルマニア40では実の兄ジミー・ウーソとの兄弟対決となったが、ジェイがピンフォール勝ちした。

2024年11月、サバイバー・シリーズのメインイベントのウォーゲーム戦でローマン・レインズらと組みソロ・シコア組に勝利した。

2025年2月1日、ロイヤルランブル戦で最後にジョン・シナを脱落させ初優勝した[2]。これによりレッスルマニア41での王座挑戦権を獲得する。

同年4月19日、レッスルマニア41にてグンターを破り、世界ヘビー級王座を戴冠した。

2025年6月のマネー・イン・ザ・バンクコーディ・ローデスと組み、ローガン・ポールジョン・シナを撃破。[3]

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その他

  • プロレス界を代表するレスリング・ファミリーであるアノアイ・ファミリーの一員。
  • FCWでは短期間ながらドニー・マーロウが加わり、サモアン・ソルジャーズThe Samoan Soldiers)というユニットを結成していた。

獲得タイトル

Thumb
WWEタッグ王座
FCW
w / ジミー・ウーソ
WWE
w / ジミー・ウーソ × 3
w / コーディ・ローデス
w / ジミー・ウーソ × 5
w / コーディ・ローデス
  • アンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアル・バドロイヤル:2021年優勝

入場曲

  • Never Make It Without You
  • Get Up
  • Aiga
  • So Close Now
  • Done With That
  • Done With That (Remix)
  • Main Event Ish - 現在使用中

脚注

外部リンク

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