トップQs
タイムライン
チャット
視点
ジャック・チェスブロ
アメリカ合衆国の野球選手 (1874-1931) ウィキペディアから
Remove ads
ジョン・ドワイト・"ジャック"・チェスブロ(John Dwight "Jack" Chesbro, 1874年6月5日 - 1931年11月6日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
Remove ads
経歴
パイレーツ時代
1899年にメジャーデビュー。その年は6勝9敗に終わるも、もともと良かった速球とカーブ、そして当時は合法だったスピットボールを覚えた事で飛躍し、翌年15勝。その後、1901年21勝、1902年28勝でパイレーツの2年連続優勝に大きく貢献。
ハイランダース時代
1903年 ハイランダース発足と同時に移籍。1年目から21勝15敗、防御率2.77でエースとして活躍。
1904年は、4月に先頭打者のヒット後、打者27人全てを打ち取る準完全試合を達成。その後も30試合連続を含めた先発51試合中48試合で完投、ア・リーグ記録(当時)の14連勝など勢いは止まるところを知らず、10月7日にピルグリムスに勝ってシーズン最多記録(20世紀以降)となる41勝をマークしチームも首位に躍り出た。しかしピルグリムスに抜きかえされ、1.5ゲーム差で迎えた公式戦最終試合のダブルヘッダー第1試合。先発したチェスブロは相手投手と互角の投げ合いを演じるも、9回裏二死三塁でスピットボールが高めに抜け、捕手の頭を超える暴投になりサヨナラ負け。ハイランダースの優勝も幻に終わった。
その後、チェスブロはこの年の登板過多のためか、思うように勝ち星が延びず1909年9試合で0勝4敗という成績にハイランダースはウェイバー公示した。
ピルグリムス時代
9月11日になって入団するも登板は1試合のみ、6回で7安打4失点で負け投手となり、これがチェスブロのメジャー最後の登板になった。
Remove ads
人物
1904年以降、17年後の1921年までヤンキース(ハイランダース)は優勝できなかったため、「酷使したチェスブロの呪いだ」ということでチェスブロの愛称からハッピー・ジャックの呪いと呼ばれた。
1905年8月30日、後にアメリカ野球殿堂入り第1号選手の一人となるタイ・カッブに、メジャー初安打(二塁打)を打たれた投手がチェスブロである。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はメジャーリーグベースボール最高(1901年以降)。
- 「-」は記録なし
タイトル
- ※記録はいずれも1901年以降
- 最多勝利:2回(1902年、1904年)
記録
- シーズン最多勝利数: 41(1904年)
- シーズン最多先発: 51(1904年)
- シーズン最多完投: 48(1904年)
関連項目
外部リンク
- Baseballhalloffame.org – アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads