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ジャーメイン・オニール

アメリカのバスケットボール選手 (1978 - ) ウィキペディアから

ジャーメイン・オニール
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ジャーメイン・リー・オニール・シニアJermaine Lee O'Neal Sr., 1978年10月13日 - )はアメリカ合衆国サウスカロライナ州コロンビア出身の元プロバスケットボール選手。NBAインディアナ・ペイサーズなどで活躍した。ポジションはパワーフォワードセンター。身長211cm、体重118kg。高校卒業後、直接NBA入りをしている[1]。日本での愛称は「コニール」。(当時現役の巨体センター、シャキール・オニールと比較して)

概要 引退, 愛称 ...
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経歴

要約
視点

高校時代

高校の最初の2年間はバスケットボールに限らず、アメリカンフットボールもプレイしていた。ポジションは主にクォーターバックだった。2年生の夏に、身長が20センチも伸び、バスケットボールに力を入れるようになった。 並外れた運動能力を生かしリバウンド、ブロックに非凡な才能を見せ、1996年に、サウスカロライナ州の最優秀選手賞とMr.バスケットボールを受賞。パレードマガジンとUSAトゥデイ紙のオールアメリカ1stチームにも選ばれ、マクドナルド全米選手権でプレーした。高校時代の成績は、平均22.4点、12.6リバウンド、5.2ブロック、FG%は68.2%を記録。

NBA

サウスカロライナ州のオ・クレア高校を卒業後、1996年のNBAドラフトポートランド・トレイルブレイザーズから1巡目17位で指名を受けNBA入りした。 ブレイザーズでの4シーズンは、ラシード・ウォレスら経験豊富な選手の陰に隠れる形で出場時間も限られ、力を発揮できずにいた。2000-01シーズン開幕前に、デイル・デイビスと交換で、当時若返りを図っていたインディアナ・ペイサーズに移籍した。

ペイサーズでは、1年目からスターターの座を確保し素質を開花。1試合平均12.9得点、9.8リバウンド、2.8ブロックの成績を残した。翌2001-02シーズンには、1試合平均19.0得点、10.5リバウンド、2.3ブロックとさらに数字を向上させ、MIP(最も成長したプレーヤー)を受賞した。

その後、2002年から5回連続でNBAオールスターゲームにも出場を果たし、同じく2002年には米国代表としてバスケットボール世界選手権大会に出場するなど、リーグ屈指のPFの地位を築く。2003-04シーズンには、リーグ最高勝率を残しプレーオフではカンファレンスファイナルへと進むがこの年の王者になるデトロイト・ピストンズに2勝4敗で敗れた。

2004-05シーズンの11月19日、対デトロイト・ピストンズ戦において、NBA史上最悪と呼ばれるロン・アーテスト (現:メッタ・ワールド・ピース) らが中心となる観客との乱闘劇、いわゆるパレスの騒乱が発生。オニールも観客を右ストレートで殴り倒してしまい、結局15試合の出場停止処分(当初は25試合の出場停止処分だったが短縮された)を受ける。

処分明けは肩の怪我もあったものの、チームの大黒柱として復帰。05-06シーズンはチームが怪我に泣かされ続けたもののプレーオフに進出。しかし、ここでも怪我人に泣かされ一回戦敗退となった。

2008年オフ、T・J・フォードロイ・ヒバートの交渉権などと交換でトロント・ラプターズへ移籍した。

ラプターズではペイサーズ時代の背番号7をアンドレア・バルニャーニが着けていたため、6番を着けた。2009年2月、ジャマリオ・ムーンと共にショーン・マリオンマーカス・バンクスと交換でマイアミ・ヒートへトレード移籍した[2]。ヒートはオニールが加入してからの12試合で7勝5敗と勝ち越した。ヒートは43勝39敗、イースタン第5シードでプレーオフに出場した。アトランタ・ホークスとのプレーオフ1回戦で3勝4敗で敗れた。

2009-10シーズン、オニールは70試合に先発出場し、チームは第5シードでプレーオフに出場した。プレーオフ1回戦でボストン・セルティックスに1勝4敗で敗れた。

2010-11シーズン前にボストン・セルティックスと契約した。左ひざと左手首の負傷で58試合に欠場したが、プレーオフでは先発に復帰、ニューヨーク・ニックスとのプレーオフ1回戦第1戦で12得点、5ブロックショットをあげた。チームは4勝0敗で2回戦に進んだがマイアミ・ヒートに1勝4敗で敗れた。

2012年3月、左手首の手術を決意、シーズン残り試合を欠場することとなり[3]、解雇された。 2012-13シーズンはフェニックス・サンズ、2013-14シーズンはゴールデンステート・ウォリアーズと渡り歩き、2014-15シーズン以降はどのチームとも契約することなく、現在は事実上の引退状態となっている。

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プレイスタイル

NBA入り当初は、ブロックショットを中心にディフェンス面で期待されていたが、年々オフェンス能力は向上し、インサイド、アウトサイドともに高い得点力を持つ、リーグ有数のビッグマンに成長した。ターンアラウンドからのジャンプショットやフェイドアウェイを得意としている。

個人成績

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NBA

レギュラーシーズン

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プレーオフ

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業績

  • オールスター出場:2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007
  • オールNBAチーム
    • セカンドチーム:2004
    • サードチーム:2002, 2003
  • MIP受賞:2002
  • ブロック王(トータル): 2001 (228)

脚注

外部リンク

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