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ジュワン・ハワード
アメリカのバスケットボール選手、コーチ (1973 - ) ウィキペディアから
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ジュワン・アントニオ・ハワード(Juwan Antonio Howard,1973年2月7日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元バスケットボール選手。現在はミシガン大学のヘッドコーチ。身長206cm、体重115kg、ポジションはフォワード。オーランド・マジック所属のジェット・ハワードは実子である。
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経歴
要約
視点
学生時代
全米で一大旋風を巻き起こしたミシガン大学ファブ・ファイブの一角として学生時代から全米の注目を浴びる。大学時代はセンターとして出場し、背番号は25を付けていた。1年の年から2年連続でNCAAトーナメントファイナルに進出し、クリス・ウェバーが抜けた3年目にもエリート8(ベスト8)進出を果たしている。
NBA
3年時(1994年)のNCAAトーナメント敗退直後にファブ・ファイブのもう一人であるジェイレン・ローズと共にアーリーエントリーを表明、同年のNBAドラフトでワシントン・ブレッツから全体で5位の指名を受けNBA入りを果たした。1年目から17.0得点、8.4リバウンド、2.5アシストと大活躍し、オールルーキー2ndチームにも選出された。 2年目には、22.1得点、8.1リバウンド、4.4アシストとさらに成績を伸ばし、NBAオールスターゲーム、オールNBA3rdチームにも選出された。3年目には初のNBAプレーオフに進出するも、シカゴ・ブルズにスウィープされた。 1996年にFAになると、マイアミ・ヒートの球団社長であったパット・ライリーに見込まれ、ヒートと長期高額契約を結んだ。ところが、サラリーキャップのルールに反していた為、リーグから契約は取り消され、同じ金額でブレッツと再契約することになった。 その後、フロントコートを組む、クリス・ウェバー、ゲオルゲ・ムレシャンら主力選手の怪我や移籍もあり、チームは下降線を辿っていった。 2001年には、クリスチャン・レイトナーらとの交換でダラス・マーベリックスへ、2002年には、リーフ・ラフレンツ、ニック・ヴァン・エクセルらとの交換トレードでデンバー・ナゲッツへ移籍した。2003年、再びFAとなり、オーランド・マジックと契約した。
2004年に、トレーシー・マグレディと共に、ヒューストン・ロケッツへ移籍した。ロケッツでは頼れるベテランとして先発、ベンチからの出場とマルチな活躍をした。ロケッツで3シーズン過ごした後、2007年6月14日にマイク・ジェームスらとのトレードによってミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍するが解雇された。
その後、ダラス・マーベリックス、シャーロット・ボブキャッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズとチームを転々とし、ジャーニーマンとなった。ブレイザーズ在籍時の2009-10シーズン、チームはセンターのグレッグ・オデンやジョエル・プリジビラが怪我でシーズン絶望と危機的状況になる。ハワードは数少ないインサイドの1人として怪我人続出のチームを支え、プレーオフ出場に貢献した。
2011-12シーズンにマイアミ・ヒートへ移籍。ヒートでは出場機会は少なかったものの、ロッカールームでのまとめ役としてチームを支え[1]、2012年のNBAファイナル、2013年のNBAファイナルで優勝を経験した。(ただし、2013年は出場なし)
引退後
2013年9月28日、現役を引退。マイアミ・ヒートのアシスタントコーチに就任した。
2019年5月23日、母校のミシガン大学のヘッドコーチに就任した[2]。
2024-25シーズンからブルックリン・ネッツのアシスタントコーチに就任すると発表された[1]。
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個人成績
レギュラーシーズン
- 1998-99シーズンは50試合、2011-12シーズンは66試合で打ち切り
プレーオフ
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関連項目
- NBA通算最多試合出場の選手一覧
- NBA通算最多シーズン出場の選手一覧
- NBAの最年長・最年少選手一覧
脚注
外部リンク
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