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ニック・ヴァン・エクセル

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ニック・ヴァン・エクセル
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ニッキー・マクスウェル・ヴァン・エクセルNickey Maxwell Van Exel, 1971年11月27日- )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ケノーシャ郡ケノーシャ出身の元プロバスケットボール選手。左利きのポイントガードとしてNBAで活躍した。

概要 基本情報, 愛称 ...
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大学時代

シンシナティ大学時代には3年次にNCAA男子バスケットボールトーナメントでベスト4、4年次にベスト8に進出させた。AP通信が選ぶオールアメリカのサードチームに選ばれ、ウッデン賞の候補にも名前が残った。2シーズンしかプレイしなかったが大学の歴代3ポイントシュート成功(147)、3ポイントシュート試投(411)、3ポイントシュート成功率(35.8%)の記録を残した。

NBA

要約
視点

選手時代

NBAのロサンゼルス・レイカーズデンバー・ナゲッツダラス・マーベリックスゴールデンステート・ウォリアーズポートランド・トレイルブレイザーズサンアントニオ・スパーズで通算13年間プレイした。

1993年のNBAドラフトで2巡目全体37位でロサンゼルス・レイカーズに指名されて入団した。彼が入団したシーズンはレイカーズは再建状態にあり18シーズンぶりにプレーオフ進出を逃したが、翌年のドラフトでレイカーズから1巡目で指名されたエディー・ジョーンズと共にチームの中心選手となって再びチームをプレーオフの常連とした。1994-1995年の彼らの活躍によってレイカーズのヘッドコーチのデル・ハリスNBA最優秀コーチ賞に輝いた。このシーズン、183本のスリーポイントを成功させレイカーズの1シーズンにおけるスリーポイント最多成功数を刻んだ(2024年にディアンジェロ・ラッセルに破られるまで、約30年間、最多記録を保持していた)。[1]

レイカーズ時代1試合あたり、14.9得点、7.3アシストをマークし、アシスト部門ではNBAのベスト10に2度入っている。1996年にはドラフトでデレック・フィッシャーコービー・ブライアント、FAでシャキール・オニールがチームメートに加わり第3シードとなったレイカーズは第2シードのシアトル・スーパーソニックスを破ってカンファレンス・ファイナルまで進出した。

1998年6月24日、5シーズン先発ポイントガードとして活躍したレイカーズからトニー・バティー、その年ドラフトで指名されたティロン・ルーとの交換でデンバー・ナゲッツに移籍した。

移籍した当時、ナゲッツはドアマットチームだったがここでバン・エクセルはキャリアハイを記録、4シーズンほどの在籍期間で1試合あたり17.9得点、8.3アシストを記録した。

2002年2月21日、レイフ・ラフレンツエイブリー・ジョンソンタリク・アブドゥル=ワヒドと共にダラス・マーベリックスジュワン・ハワードドネル・ハーヴェイティム・ハーダウェイ2002年のNBAドラフト1巡目指名権とトレードされ移籍した。

マーベリックスに移ってからの彼の役割は以前より小さくなったが、シックスマンとして3ポイントシュートなどで得点源となり2002-03年シーズン1試合あたり15.5得点、プレーオフに入ると20得点近くをマークしている。

2003年8月18日、エバン・エシュマイヤーエイブリー・ジョンソンポパイ・ジョーンズアントワン・リゴドーと共にゴールデンステート・ウォリアーズアントワン・ジェイミソンクリス・ミルズダニー・フォートソンイジー・ウェルシュとのトレードで移籍した。移籍後のシーズンはキャリア最低の39試合出場、1試合あたり12.6得点、5.3アシストに留まった。

2004年の7月20日、ポートランド・トレイルブレイザーズデイル・デイヴィスダン・ディッカウとのトレードで移籍した。ブレイザーズではわずか53試合に出場し平均11得点であった。

2005年8月3日、ブレイザーズから解雇され8月29日にサン・アントニオ・スパーズと契約した。怪我のため彼は65試合にのみ出場、1試合あたり15分出場、5.5得点と自己ワーストの記録となりこれがNBAで最後のシーズンとなった。ダラス・マーベリックスとの7戦に及ぶプレーオフシリーズが終了した2日後の2006年5月24日現役引退が報道された。

コーチ時代

2010年よりアトランタ・ホークスで選手育成担当のコーチを2012年まで務め、2013-2014シーズンはミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチを務めた。2014年よりダラス・マーベリックス傘下のテキサス・レジェンズのアシスタントコーチとして入閣。翌2015年からは、それまでヘッドコーチを務めていたエドアルド・ナヘラが、マーベリックスのスカウトに転出したのに伴いヘッドコーチに昇格。2016年からはメンフィス・グリズリーズのアシスタントコーチを務める。

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NBA個人成績

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レギュラーシーズン

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  • 1998-99シーズンは50試合で打ち切り

プレーオフ

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ハイライト

  • バン・エクセルはボストン・ガーデンで得点した最後のレイカーズの選手となった。その試合で彼はブザービーターとなる3ポイントシュートを成功させチームを勝利に導いた。
  • 13シーズン中8回アシスト数でベスト15に入っている。
  • オール・ルーキー・セカンドチーム(1993-94年)
  • 1995年のプレーオフ、ウェスタンカンファレンスセミファイナル、スパーズとの第5戦で2本の貴重な3ポイントシュートを成功させた。1本目はオーバータイムに突入させ、2本目はゲームの勝利を決定づけた[2]
  • 1998年のNBAオールスターゲームにチームメート3人と共に出場している。
  • 2006年のプレーオフ、対スパーズ戦でベンチスタートながら1試合あたり18.9得点を記録している。
  • レイカーズ歴代4位[3]の3ポイントシュート成功 750

人物

  • レイカーズ時代のニックネームは「Nick the Quick」。
  • フリースローの際にわざとフリースローラインから1フィート(約30cm)ほど離れている。通算のフリースロー成功率は79.6%だった。
  • 1996年にレフェリーを記録員のテーブルへと突き飛ばし退場となったことがあった。この振る舞いは当時レイカーズに現役復帰していたマジック・ジョンソンにより批判された。しかしその数試合後、ジョンソンもレフェリーを小突いて退場している。
  • ティーンエイジャーの時に交通事故のため右に傷痕がある。
  • シンシナティ大学では31番、レイカーズでは9番、ウォリアーズでは37番、ブレイザーズでは19番、ナゲッツ、マーベリックス、スパーズでは31番をつけている。ウォリアーズ時代とブレイザーズ時代、鎖骨を骨折している。
  • レイカーズ時代のHCだったデル・ハリスとは折り合いが悪く、ハリスとしばしば口論を繰り広げる場面が映し出された。因みにハリスとはマーベリックスでも共にしているが、この時はヴァン・エクセル自身も選手として成長していたのか、ハリスと対立することもなく、シックスマンの役割をこなしている。
  • レイカーズ時代、同じロサンゼルスに本拠地を置くロサンゼルス・クリッパーズ戦で、クリッパーズの選手やファンを小馬鹿にするジェスチャーをした為に、リーグから出場停止処分を受けたこともある。
  • 1998年のNBAドラフト開催日、ヴァン・エクセルはデンバー・ナゲッツが1巡目で指名したティロン・ルーとのトレードでナゲッツに放出されたが、これにも深い理由がある。同年のカンファレンスファイナルでユタ・ジャズと対戦したレイカーズだったが、4戦全敗で1991年以来のNBAファイナル進出はならず、その時ヴァン・エクセルは、観客の "ディーフェーンス!!" の声援に合わせ、レイカーズの選手や関係者がシーズンオフにバカンスに出掛けるメキシコカンクンに因んで "カ~ンク~ン!!!" のコールを連呼していたと言われている。勿論ながらチームメイトから不満の声が挙がり、敗退後にシャキール・オニールがフロント陣に「ヤツ (ヴァン・エクセル) を放出しろ!!!」と激しく要求したとされており、それがドラフト開催日のトレードに繋がったとされている。
  • 2005年夏、ヴァン・エクセルはサンアントニオ・スパーズと契約した際、ダラス・マーベリックス時代のチームメイトで、同年夏にアムネスティ条項を行使されてマーベリックスから放出されていたマイケル・フィンリーも呼び寄せ、悲願のNBAチャンピオンを目指したが、2005-2006シーズンのプレーオフは、セミファイナルで、そのマーベリックスに敗退し、ヴァン・エクセルは数日後に引退を表明。皮肉な事にフィンリーは翌年にスパーズでNBAチャンピオンを経験した。
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脚注

関連項目

外部リンク

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