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ジョン・D・カーマック

アメリカ合衆国のプログラマー、クリエイター、エンジニア ウィキペディアから

ジョン・D・カーマック
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ジョン・D・カーマックJohn D. Carmack II1970年8月20日 - )はアメリカ合衆国コンピュータプログラマーゲームクリエイターエンジニアコンピュータゲーム会社「id Software」の共同設立者であり、idが開発した作品『Wolfenstein 3D』『Doom』『Quake』『Commander Keen』及びそれらの続編作品の主任プログラマーを務めた。また、シャドウボリューム用のカーマックのリバースアルゴリズムなど、3次元コンピュータグラフィックスに革新をもたらした。2013年にid Softwareを退職した後、「Oculus」(MetaのVR部門[1])のフルタイムのCTO、2019年からは顧問CTOを務め[2]、2022年12月にMetaからの退職を発表した[3][1]FPSの生みの親としても知られている[4][5]

概要 ジョン・カーマックJohn Carmack, 生誕 ...
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伝記

要約
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青年時代

カーマックの父親は、ローカルテレビ局リポーターのスタン・カーマック(Stan Carmack)である。カンザスシティの都市部に住んでいた子供のころからコンピュータへの関心を持っていた。その後ミズーリ州のレイタウン近郊のプレイリー・ビレッジにあるシャウニー・ミッション・イースト高校に進学した。デイビッド・クシュナーの書籍『Masters of Doom』によると、「カーマックは14歳の時、Apple IIを盗むために学校に侵入して逮捕され、精神鑑定を受けさせられた(報告書には「他者への共感が見られない」とある)。カーマックは1年間少年院に入ることになった。『もし捕まっていなかったとしたら、また同じようなことをすると思うか?』という質問に、彼は『おそらく』と答えているが、カーマックは『(もし捕まっていなかったとしたら、)おそらく』と、セラピストの言った言葉の繰り返しを省略したのだという」[6]。彼はミズーリ大学カンザスシティ校に進学、2学期にフリーランスのプログラマになるため退学した。

キャリア

カーマックはルイジアナ州シュリーブポートのSoftdiskに雇用されて、Softdisk G-S(Apple IIGSユーザのためのディスク付き雑誌)を作る仕事をすることになった。そこでジョン・ロメロエイドリアン・カーマック(親類関係ではない)などのid Softwareの主要メンバーと出会った。IBM PCMS-DOS)向けの隔月刊のゲーム購読型プロダクトGamer's Edgeの仕事がチームにアサインされたが、このプロダクトは短命に終わった。Softdisk在籍中の1990年に、カーマックとロメロ達は、Commander Keenを作成した。このシリーズはApogee Softwareから発売され、1991年からはシェアウェアとして配布された。その後カーマックはSoftdiskを離れて、id Softwareを共同で設立した。

彼はさまざまなコンピュータグラフィックスのテクニックの先駆者で、Commander Keenで使われた"adaptive tile refresh"、Hovertank 3-DCatacomb 3-DWolfenstein 3-Dにおける光の投射は新しい技術だった。Binary space partitioningを最初にゲームで使ったのはDoomである。Surface cachingは彼がQuakeのために発明した。Carmack's Reverse(公式にはz-fail stencil shadowsと呼ばれている)はDoom 3、MegaTextureはEnemy Territory: Quake Warsのために発明した。彼はCamack's Reverseの最初の発明者ではないが、先行研究のことを知らずに独自でこのテクニックを発見したという[要出典]

カーマックのエンジンは、ほかの有名な一人称視点ゲーム『ハーフライフ』シリーズ、『コール・オブ・デューティ』シリーズ、『メダル・オブ・オナー』シリーズなどでも使われている。

カーマックは妻と一緒に旅行に出かけたとき、妻の携帯電話を借りてゲームを遊んで、ゲームがつまらないことに気づいた。モバイルゲームを作成することに心を決めて、旅行から帰ってきてからとりかかったのが『Doom RPG』である[7]

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2010年3月11日に開催された第10回年次Game Developers Choice Awardsセレモニーで生涯功労賞(Lifetime Achievement Award)受賞後のスピーチを行うカーマック

2013年8月7日、カーマックはOculus VR社にCTOとして入社した[8]。2013年11月22日、Oculus VRでフルタイムで働くためにid Softwareを退職した[9][10]。カーマックの退職理由はidの親会社ゼニマックス・メディアがOculus Riftをサポートすることを望まなかったためであった[11]。カーマックの両社での役割は後にOculusの親会社Facebookに対するゼニマックスの訴訟の中心となり、ゼニマックスはOculusはゼニマックスのバーチャル・リアリティの知的財産を盗んでいると主張した[12][13][14]。裁判の陪審員はカーマックの責任を免除したが、Oculusと他の執行役員は商標、著作権、契約違反の責任を問われた[15]

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2015年のGame Developers Conferenceで「The Dawn of Mobile VR」(モバイルVRの夜明け)について語るカーマック

2017年2月、カーマックはゼニマックスを提訴し、同社がid Softwareの買収で彼に支払うべき残りの2250万ドルの支払いを拒否したとして主張した[16]。2018年10月までにカーマックは自分とゼニマックスが合意に達したとし、「ゼニマックスは私に対する彼らの義務を完全に満たした」と述べ、訴訟を終結させた[17]

2019年11月13日、カーマックはOculusの「顧問CTO」に異動すると自身のFacebookで発表した。カーマックは引き続き開発業務に発言権を持つものの、ごく僅かな時間しか割かない予定と述べ、今後は汎用人工知能(AGI)の研究に取り組む意向を明らかにした[2]

2022年12月17日、カーマックはMetaを退職したことを自身のTwitterとFacebookで明らかにした。今後は、2022年8月に2000万ドルの投資を受けて自身が設立したAGIの研究開発に主力を置くスタートアップ企業「Keen Technologies」で開発や運営の仕事に集中していくという[3]

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アルマジロ・エアロスペース

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ニューメキシコ州ラスクルーセルと同州アラモゴードで開催された2005年のX PRIZEカップ中のカーマック

2000年頃、彼は青年時代の趣味であったロケットに関心を持つようになった。フェラーリのカスタマイズに費やしていた金額を見直したところ、趣味の航空宇宙で重要な仕事ができることに気づいた。カーマックはいくつかの地元のアマチュアエンジニアに資金提供することから始め、「年間100万ドルを超える資金」を自分のポケットから出して会社に資金を提供した[18]。愛好家の会社は準軌道飛行と最終的な軌道ビークルの目標に向かって着実に進歩していった。2008年10月、アルマジロ・エアロスペース社はNASAのコンテスト「ルナー・ランダー・チャレンジ」に参加し、レベル1の競技で1位を獲得し、35万ドルを獲得した。2009年9月にはレベル2を達成し、50万ドルを獲得した[19][20][21]。2013年、イベント「QuakeCon 2013」の中でカーマックは同社は「冬眠状態」と表現し活動が止まっていることを認めた[22]

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オープンソースソフトウェア

カーマックはオープンソースソフトウェアの著名な支持者であり、ソフトウェア特許への反対を繰り返し表明し、それらを強盗と同一視してきた[23]。彼はまた、X Window SystemのMac OS Xへの初期移植を開始したり、Utah GLXプロジェクトを通じてLinux用のOpenGLドライバーの改善に取り組んだりと、オープンソースプロジェクトにも貢献している。

カーマックは1995年に『Wolfenstein 3D』のソースコード、1997年に『Doom』のソースコードを公開した。Quakeのソースコードがリークされ、Quakeの地下コミュニティの間で出回った時、id Softwareとは無関係のプログラマーがQuakeをLinuxへと移植するためにソースコードを使用し、その後パッチをカーマックへと送った。法的措置を講じる代わりに、id Softwareはカーマックの要請で会社が認可したLinux移植の基盤としてパッチを使用した[要出典]。id Softwareはそれ以来、『Quake』『Quake 2』『Quake 3』そして最後に『Doom 3』(そして後のBFG Editon)のソースコードを全てGNU General Public License(GPL)の下で公開した。Doomのソースコードも1999年にGPLの下で再公開された。「Doom 3エンジン」として一般的に知られるid Tech 4エンジンもGPLの下でオープンソースライセンスとして公開されている[24]。『Hovertank 3D』と『Catacomb 3D』(及びカーマックの初期の作品『Catacomb』)のソースコードは2014年6月にカーマックの賛同を得てFlat Rock Softwareから公開された[25][26]。一方で、カーマックは何年にもわたってゲームプラットフォームとしてのLinuxに懐疑的意見を述べており[27]、例えば2013年に彼はLinuxでのゲームのための適切な技術的方向性としてエミュレーションを主張し[28]、2014年にはSteam Machineの成功にとってLinuxが最大の問題であるかもしれないとの意見を述べている[29]

カーマックは慈善団体やゲームコミュニティに寄付を行っている。カーマックの慈善寄付の受領者には彼の出身高校、オープンソースソフトウェアの推進者、ソフトウェア特許の反対者、ゲーム愛好家などが含まれる。

私生活

要約
視点
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カーマックと方鏞欽(1997年5月)

カーマックはid社で大きな成功を収めたため、1984年の中頃までに、328テスタロッサの2台のフェラーリ車を購入している[30]。1997年に方鏞欽英語版(史上初のプロゲーマーとされるThresh[31])がQuakeのトーナメント「Red Annihilation」で優勝した際には、所有するフェラーリのうち一台(328モデル)を賞品として授与している[32]

最初の妻であるキャサリン・アンナ・カンとは、彼女が1997年のQuakeConでid社を訪れた際に出会っている。カンはカーマックに対して、女性のみのQuakeトーナメントである第一回「All Female Quake Tournament」に彼女が多くの参加者を集めることができた場合、カーマックが大会のスポンサーになるという賭けを挑んだ。大会参加者はせいぜい25人程度であろうというカーマックの予想に反し、1500人もの女性が大会に参加した[33]。カーマックとカンは2000年1月1日に結婚し、その後ハワイでの挙式を予定していたが、スティーブ・ジョブズは、1月5日にカーマックがMacWorld Expoで登壇できるよう式を延期してほしいと要請してきた。二人はこれを断り、カーマックは代わりにビデオメッセージを作ることを提案した[34]。カーマックとカンは2004年に長男、2009年に次男を儲けている。カーマックは最後の更新が2006年のブログ(以前は.plan)、活発なTwitterアカウントを持ち、時折スラッシュドットにコメントを投稿している。

ゲーム開発者として、カーマックは同時代の多くのゲーム開発者とは異なり、開発中のゲームの最終的な発売日を明言することを避けていた。代わりに、新作の発売日を聞かれたときにカーマックは通常、ゲームは「完成したら」発売されるだろうと答えていた[35]。2019年にジョー・ローガンのポッドキャストにゲスト出演したカーマックは、時が経つにつれて自分の考えが変わってきたとし、「私は今、ほとんど撤回している」と述べた。『Rage』の6年間の開発期間について、彼は「2年早く出荷するために必要なことは何でもやるべきだったと思う」と語っている。カーマックはまた、この点についてQuakeの内部開発を振り返り、それが「トラウマになった」と述べ、Id Softwareはゲームを2つのパートに分割して、もっと早く出荷することができたと述べている[36]

かつてid SoftwareのゲームのパブリッシャーであったApogeeの従業員もこの商習慣を採用していた[37]

カーマックは2012年のアメリカ合衆国大統領選でリバタリアン党ロン・ポールの選挙運動を支援した[38]

カーマックは無神論者である[39][40]

カーマックはピザが大好物であり、id Software在籍中、ほぼ毎日ドミノ・ピザからミディアムのペパロニピザがカーマックの元に届き、15年以上同じ配達員が配達していた。カーマックはそのような常連客であったので、彼らは1995年の価格を彼に請求し続けた[41]

時折、彼は他のプログラマーの努力を称賛している。最初は3D Realmsのビルドエンジンを書いたケン・シルバーマン、後にUnreal Engineを書いたEpic Gamesティム・スウィーニーを称賛した[42]

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栄誉

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ゲーム

発売日 タイトル 開発 販売 役職
2016年5月13日 DOOM id Software ベセスダ・ソフトワークス 元テクニカルディレクター、元エンジンプログラマー、元デベロッパー
2012年10月16日 Doom 3: BFG Edition id Software ベセスダ・ソフトワークス テクニカルディレクター、エンジンプログラマー、デベロッパー
2011年10月4日 Rage id Software ベセスダ・ソフトワークス テクニカルディレクター、エンジンプログラマー、デベロッパー
2007年9月28日 Enemy Territory: Quake Wars Splash Damage アクティビジョン プログラミング
2006年5月1日 Orcs & Elves Fountainhead Entertainment エレクトロニック・アーツ プロデュース/プログラム/脚本
2005年10月18日 Quake 4 Raven Software アクティビジョン テクニカル・デベロッパー
2005年9月13日 Doom RPG Fountainhead Entertainment id Software プロデュース/プログラム
2005年4月3日 Doom 3: Resurrection of Evil Nerve Software アクティビジョン テクニカル・デベロッパー
2004年8月3日 Doom 3 id Software アクティビジョン テクニカル・ディレクター
2001年11月19日 Return to Castle Wolfenstein id Software アクティビジョン テクニカル・ディレクター
2000年12月15日 Quake III: Team Arena id Software アクティビジョン プログラム
1999年12月2日 Quake III Arena id Software アクティビジョン プログラム
1997年12月9日 Quake II id Software アクティビジョン プログラム
1997年3月31日 Doom 64 ミッドウェイゲームズ ミッドウェイゲームズ プログラム
1996年6月22日 Quake id Software id Software プログラム
1996年5月31日 Strife Rogue Entertainment 速度計算 エンジンプログラム
1995年10月30日 Hexen: Beyond Heretic Raven Software id Software 3Dエンジン
1996年 Final Doom id Software GT Interactive プログラム
1994年12月23日 Heretic Raven Software id Software エンジンのプログラム担当
1994年10月10日 Doom II: Hell on Earth id Software GT Interactive プログラム
1993年12月10日 Doom id Software id Software プログラム
1993年 Shadowcaster Raven Software Origin Systems 3Dエンジン
1992年9月18日 Spear of Destiny id Software FormGen ソフトウェア・エンジニア
1992年5月5日 Wolfenstein 3D id Software Apogee Software プログラム
1991年 Catacomb 3-D id Software Softdisk プログラム
1991年 Commander Keen: Aliens Ate My Babysitter! id Software FormGen プログラム
1991年12月15日 Commander Keen: Goodbye Galaxy! id Software Apogee Software プログラム
1991年 Commander Keen: Keen Dreams id Software Softdisk プログラム
1991年 Shadow Knights id Software Softdisk デザイナー/プログラム
1991年 Rescue Rover 2 id Software Softdisk プログラム
1991年 Rescue Rover id Software Softdisk プログラム
1991年 Hovertank 3D id Software Softdisk プログラム
1991年 Dangerous Dave in the Haunted Mansion id Software Softdisk プログラムg
1990年12月14日 Commander Keen: Invasion of the Vorticons id Software Apogee Software プログラム
1990年 Slordax: The Unknown Enemy Softdisk Softdisk プログラム
1990年 Catacomb II Softdisk Softdisk 開発
1990年 Catacomb Softdisk Softdisk プログラム
1990年 Dark Designs II: Closing the Gate Softdisk Softdisk プログラム/デザイナー
1990年 Dark Designs: Grelminar's Staff ジョン・D・カーマック Softdisk 開発
1990年 Tennis ジョン・D・カーマック Softdisk 開発
1990年 Wraith: The Devil's Demise ジョン・D・カーマック Nite Owl Productions 開発
1989年 Shadowforge ジョン・D・カーマック Nite Owl Productions 開発
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脚注

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